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《嘉永五年道中日記》を読む【その20】

Mm_2  嘉永五年(1852)正月の2日、武州所沢(埼玉県所沢市)を出発した13名。旅の目的は伊勢詣と奈良・大阪・京都への物見遊山である。東海道を行き、念願の伊勢参詣を済ませた一行は、奈良見物を終え、吉野山から高野山へと向かう。

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128日学文路(和歌山県橋本市)→高野山(和歌山県伊都郡高野町高野山)約24.9km

(学文路:かむろから)兼村へ五十町。ここは紙すき所が多くある。この間に大橋があり、長さは18間の板橋である。神谷宿へ五十町。右側の花屋市兵衛にて小休止。ここで(高野山の)宿坊から山祝いの酒をいただく。それより案内人がつく。続いて親ふみ

子ふみという岩に足跡がある。

不動堂へ三十二町。

女人堂へ十八町。ここにも不動明王があり、右に金仏があり、ここより女人禁制である。

高野山へ 128日宿泊する宿坊・高祖院まで五町。

嘉永五年正月二十八日、九ツ時(昼12時頃)に高野山に到着した。ここには宿坊の数は500軒、町屋の数も500軒あるという。それより十八町ほど行くと、御大名方そのほか残さず石塔が多い。右側に蛇柳がある。左に姿見の井戸がある。

次に無明橋があり、長さ5間。右に木食堂があり、ここにて十念あとふるなり。(念仏を10回唱えれば成仏できる)続いて長者の万灯があり、1灯、12文にて灯明をあげる。それから弘法大師の奥の院へ参拝致す。ここは御朱印2万千石、月拝代金1分百文、ただし1本につき。

129日高野山(和歌山県伊都郡高野町高野山)→三日市宿(大阪府河内長野市)約40.3km

それより(1月)29日出発した。右側の吉野川へ帰り、船で渡った。12文。

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 「高祖院」は、古く鎌倉時代の創設である。如意輪観音をご本尊とし、光明皇后の舎利塔を祀る名刹寺院であった。残念ながら明治21年高野山大火で堂宇を焼失した。しかし仏像、寺宝、過去帳等は焼失を免れ、「三宝院」により護持供養を続けている。高祖院の名は、三宝院入口にいまも残っている。住所:和歌山県伊都郡高野町高野山580番地。

 高野山の宿坊は、その辺の旅館よりもすばらしい。何度も泊まったが、掃除が行き届き、修行僧がホテルのボーイのように荷物を運んでくれるし、世話を焼いてくれる。精進料理の食事もおいしい。

 ところで奥の院へ向かう途中の「姿見の井戸」であるが、江戸時代頃から、この井戸をのぞき見て、自分の姿が水に映らなければ3年以内の命であるという説がある。実際に自分も高野山へ行ったが度胸がなくこの井戸をのぞくことはできなかった。

 また奥の院では、毎日、弘法大師様のために食事が運ばれる。おごそかな雰囲気である。いうまでもなく高野山は世界遺産である。

東家宿(和歌山県橋本市)、左側の河内や次右衛門にて昼食、64文。右高野山よりこの宿まで道のり二百八町という。

それより紀伊見峠へ百町、たみや市兵衛にて小休止。ここは紀伊と河内の国堺である。

三日市宿へ百町。左側の旅籠・菊屋惣次郎に宿泊。宿泊代164文。

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(高野山 壇上伽藍)

 

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