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《嘉永五年道中日記》を読む【その22】

21日 大坂・日本橋(大阪市日本橋)→船中泊→伏見(京都府京都市)約44km

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(大阪府大阪市日本橋)ここにて案内人を頼む。1組につき200文、これより大坂見物をする。かうづの宮八幡宮(高津宮、大阪市中央区高津1-1-29)があり、東側の脇に高倉稲荷(高倉稲荷神社、大阪市中央区高津1-1-29)があり、木の鳥居の数は600本ほどもあるという。そのほかにもお参りする所が多い。次に妙法寺があり、ここには梨花の松がある。続いて御城(大阪城、大阪市中央区の大阪城公園)を見物。それより天満橋、長さ120間(218m)。また天神橋があり、これも同じくらいの長さがある。それより東門跡や西門跡がある。

 馬喰町稲荷前に武蔵野という茶屋がある。ここにて昼食をとる。二の膳付きで66文。ここは大阪でも有名な店である。そのほか見物する所も多い。

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高津宮:大阪観光コンベンション協会提供)

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(大阪城:大阪観光コンベンション協会提供)

 それより21日、夜舟に乗る。(船代は)一人につき200文、舟玉(心付)として32文支払う。船は日本橋より京橋へ出る。

森口村(大阪府守口市)へ百町。定村(同)へ五十町、ここには天神社がある。平方宿(大阪府枚方市)へ百町。橋本へ三里。ここには船着場があり、ここから十八町ほど右のやわた八幡宮に行ける。淀御城下へ三十二町。淀川水車がある。石高102千石、淀丹後守の城下である。

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(広重 京都名所之内淀川)

 伏見町(京都市)へ五十町。ここで船から上がり、朝食をとる。72文。石高1万石の御城下である。ここ伏見の船着場は、よい所である。ここには伏見大明神社がある。御朱印800石、神主10軒。それより奥の院まで鳥居の数、400本ほどあるという。

 

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(伏見城)

 淀川を大阪から伏見まで結んだ船は、「三十石船」という旅客船。定員30人弱の乗り合い舟で、大阪と京都を結ぶ交通路の主要部分を約1日の行程で結んだ。ターミナルの大阪と伏見では、この舟を利用する旅人のための船宿が繁盛した。坂本龍馬ゆかりの寺田屋も、そうした船宿の一つだそうだ。

  川舟による水運は、近代に入って鉄道や自動車による交通が発達するにつれ、自然に消滅していった。しかし、最近は、河川や運河などを利用した新しい交通機関として、水上バスが注目を集めるようになっている。

 

 伏見の町が日本の歴史の中で脚光を浴びるようになったのは、伏見を城家町として開花させ、京と大坂を結ぶ淀川水運の発着点として天下に知らしめたのは、豊臣秀吉。

 江戸時代初期、淀川で結ばれていた大坂。伏見間の交通機関として旅客専用の船「三十石船」が登場。米を三十石積めることから三十石船と呼ばれた。

 全長五十六尺(約17㍍)幅八尺三寸(約25㍍)乗客定員28人~30人であった。

 

 京都へ三里。ここの六角堂前の旅籠・筑前屋次郎左衛門に宿泊。

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