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《嘉永五年道中日記》を読む【その25】

25日 草津宿(滋賀県草津市)→高宮宿(滋賀県彦根市)約39.6km

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 草津宿(滋賀県草津市)、ここの左側に、名物うばがもちというものがある。この宿(草津宿)はずれに右は東海道、左は中山道・木曽街道の追分(分岐点)である。それより(道は)木曽街道の下りである。

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(広重 草津

 現代でも草津に「うばがもちや」(滋賀県草津市大路21319TEL077-566-2580)がある。創業は室町末期の永禄十二年(1569)である。実に443年前である。

また広重の浮世絵『東海道五拾三次の内 草津』にも、このうばがもちやが描かれていて興味深い。街道を徒歩で長い距離を歩く江戸の旅人たちにとっては、甘いものは絶好の疲労回復源であったに違いない。

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(広重 守山)

 森山宿(守山宿、滋賀県守山市)へ一里半。ここに中山道・美濃路へ行く道・北国道もある。次に安川、橋代8文。安松村、それより十町ほど右に百足山がある。左に八幡宮へ行く道がある。右は中山道である。次に横川という川があり舟渡し8文。

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(広重 武佐)

 武佐宿(滋賀県近江八幡市)へ三里半。右側の川ちや卯兵衛にて昼食、64文。

この間に清水村があり、びろうどにちぢみが名物である。次に越川、この川は渡るのは無料である。

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(広重 愛知川)

 越川宿(愛知川:えちがわ宿、滋賀県愛知郡愛荘町)へ二里半。ここも(渡しは)無料。

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(広重 高宮)

 高宮宿へ二里。右側の旅籠・津屋正次に5日宿泊。宿泊代172文。

 

26日 高宮宿(滋賀県彦根市)→赤坂宿(岐阜県大垣市)約40.5km

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(多賀大社:びわこビジターズビューロー)

(高宮宿)ここにさらしあさ(麻)の名物がある。多賀明神(多賀大社、滋賀県犬上郡多賀町多賀604、伊邪那岐命:イザナギ・伊邪那美命:イザナミの2柱を祀り、古くから「お多賀さん」として親しまれてきた。また、神仏習合の中世期には「多賀大明神」として信仰を集めた)があり、御影石の大きな鳥居が右にある。

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(彦根城:彦根観光協会)

 それより一里ほど左にお城が見える。ここは彦根城主、石高35万石伊井掃部頭の御城下である。次に大堀川があり、(渡るのは)無料である。

 

 鳥居本宿(滋賀県彦根市)へ一里八町。この間に、つりはり峠(すりはり峠:摺針峠)という所があり、四町ほどのぼると茶屋があり、ここで小休止。ここより左の方角に(琵琶湖の湖水)水面に竹生島が見える。ここはよい景色の場所である。

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(広重 鳥居本)

 広重の描いた浮世絵『木曽街道69次の内63 鳥居本』に、この風景が描写されている。左側の急坂にある茶屋が「望湖堂」で、琵琶湖が一望でき中山道随一の名勝といわれたそうだ。この茶屋の名物は、弘法大師ゆかりの栃餅(するはり餅)である。幕末に皇女和宮も休憩された。

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(広重 番場)

 番場宿(滋賀県米原市)へ一里半。

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(広重 醒井)

 醒ヶ井宿(さめがいじゅく、滋賀県米原市)へ一里。この間に本郷川、橋代2文。次にあらさ川がある。

 

 柏村宿(柏原宿、滋賀県米原市)へ一里。亀丸屋五郎左衛門(旅籠か茶屋か、名前のみを記述。おそらく昼食か休憩をとったものと思われる)。ここは長久手村。ここには近江と美濃の国境で小さな堀があり、ここを「ねものがたり」という。

 

 現在の岐阜県不破郡関ケ原町大字今須3246-1の地に「寝物語の里」がある。滋賀県(近江)と岐阜県(美濃)の県境(国境)に小さな溝がある。かつてはその溝が国境となっていた。そこには国境の標柱が建っており、寝物語伝説の場所となっている。

その昔、京都から奥州へ落ち延びた源義経を追う静御前が旅の道中で長久寺の近江側の宿をとった。隣の美濃側の宿には義経の家来の源造が泊まっており、それに気づいた静御前が「義経に会うために、奥州まで連れて行ってくれ」と源造に懇願した、というやり取りがあったそうだ。両国の宿に泊まる旅人が、寝ながらこの話をしていたことから、この土地の人々が「寝物語の里」という名を付け、今もなお語り継がれているそうだ。

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(広重 今須)

今須宿(岐阜県不破郡関ヶ原町)へ一里。この間に山中村、ここに常波御前(常盤御前)の御石塔がある。(源義経の母・常盤御前の墓、関ケ原町大字山中532)大関村、ここに不和の御関所という跡(不破関跡、関ケ原町大字松尾149-1)がある。

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(広重 関ヶ原)

Web

(家康最後の陣地跡:関ヶ原観光Web)

関ヶ原宿(岐阜県不破郡関ヶ原町)へ一里。この宿場の中程より三町ほど左に家康公様の合戦場あり。それより大きい墓の跡がある。このあたり油木(白だも)と木が多い。次に野上村、ここに竹中というわらじが有名な店があり、百里(歩いても平気なほど丈夫なわらじであること)を保証するという。

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(広重 垂井)

樽井宿(垂井宿、岐阜県不破郡垂井町)へ一里半。ここに金山彦大明神(南宮大社、岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1)があり、石の鳥居が右にある。宿場のはずれに27間の土橋があり、それより小さな土橋が二つある。右は美濃路・熱田みち、左は中山道・木曽路の棒柱が立っている。このあたりに梨の林が多い。

 

赤坂宿(岐阜県大垣市)へ一里十二町。左側の旅籠・大升屋平吉に6日宿泊。宿泊代150文。 

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(広重 赤坂)

赤坂宿は、江戸と京を結ぶ中山道の宿場町として栄えた。中山道の赤坂宿は、江戸から数えて57番目の宿場として賑わいを見せ、西国三十三霊場、谷汲山華厳寺へ続く谷汲街道の起点となっていた。

文久元年(1861)公武一和のもとに、皇女和宮が徳川14代将軍家茂に降嫁されることになり、1020日桂御所を出発し、1025日総勢7800余名の大行列が、ここ赤坂宿に宿泊された。大垣藩では、中山道の警備を行い、赤坂宿西入口兜塚から東入口杭瀬川土橋までの間、54軒もの家屋を新築したそうだ。世にいう「お嫁入り普請」である。大変な失費であっただろう。

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