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《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その1】

私の住む所沢市に残る史料にある伊勢参宮の道中記である。『所沢市史 近世史料Ⅱ』にあるこの「安政四年伊勢参宮道中記」は、幕末も押し迫った安政四年(18571213日に武州所沢の下新井村(埼玉県所沢市下新井)を出発。総勢18名である。甲州街道の府中に泊まった後、厚木を経由、平塚から東海道に入り、伊勢から奈良、大坂、神戸、姫路を経て、山陽道で岡山へ。倉敷から船で四国・丸亀へ渡り、金比羅さんへ参詣した。帰路は京都を経由、滋賀・草津から中山道へ。途中、善光寺にも立ち寄り、翌年217日に所沢に帰った。実に64日間に旅である。

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 ところで、この時代、日本は歴史の上で大きく動いた。この旅の4年前の嘉永六年(1853)には、浦賀に黒船が来航し、開国を迫る。翌嘉永七年(安政元年)、日米和親条約を結ぶ。おそらく江戸から八里(約32km)離れた武州所沢でも黒船のうわさくらいは伝わっていたはずだ。

 そして、この旅の翌年・安政五年(1858)には、大老井伊直弼による安政の大獄がおこなわれ、開国に反対する尊王攘夷派は弾圧される。安政七年、この井伊直弼が、桜田門外の変で暗殺される。安政期には、また大地震も頻発した。江戸幕府の崩壊へと時代は、着実に進んでいた。

 

 さて、この道中記の冒頭には、旅に際しての戒め(注意事項)が列挙されている。

 

道中心得之事

一 大酒すべからず

一 諸勝負致すべからず

一 道づれけっして無用

一 渡し場出入急ぐべからず

一 馬方駕籠かき人足其外道中にて口論いさかへを制し慎むべし

一 旅人より食物あたへたり共むざとくうべからず

一 はたご安く共あやしきやどに泊るべからず

 

・お酒はほどほどに飲めば、疲労回復にもなる。飲み過ぎを戒める。旅先で博打など、賭けごとはいけない。身を崩す。

・「道づれ」とは、旅先で言い寄ってくる他人である。何かと理屈をつけ、同行しようとする者は、おそらく魂胆があり怪しいからだ。

・川の渡し場では、急いではならない。水かさが増せば渡し賃も高くなるし、危険が伴う。

・馬方や駕籠を担ぐ人足たちと口論やいさかいをしてはならない。

・旅人などから、むやみに食べ物をもらって食べてはならない。

旅籠は、宿泊代が安いからといって泊まってはならない。安いのにはわけがあるはずだ。

 

1213日 所沢下新井村(埼玉県所沢市下新井)→府中(東京都府中市)約17km

 

■下新井より一里。■久米川(東京都東村山市)より一里。■小川(東京都小平市)より二里。■1213日、府中(東京都府中市)より二里。(府中)旅籠・出丸屋弥平治に宿泊。宿泊代232文。(そのほかに)茶代1分(1/4両で約15,000円)を出す。ここに六所大明神(大国魂神社)あり、ご朱印五百石。

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(大国魂神社)

 府中の旅籠では、よほど主人と話がはずんだのか、宿泊代のほかに一分金のチップまで出した。

 

1214日 府中(東京都府中市)→厚木(神奈川県厚木市)約36km

 

■押立(府中市押立町) ここに玉川(多摩川)があり、橋代8文。■小野路(多摩市小野路町)より二里。■1214日、木曽(町田市)にて昼食、72文。ここに二川があり、北武蔵・南相模の国境がある。

■星の谷(神奈川県座間市)より一里半。ここに観世音(座間市入谷3-3583、通称・星の谷観音、妙法山星谷寺、真言宗大覚寺派、本尊:聖観世音菩薩)があり、お堂は、南向きで坂東(札所)八番である。西に星の井戸がある。(しかし)星は見えない。この間に有鹿明神(ありか神社)がある。次に相模川、橋代15文。

1214日、厚木より二里。旅籠・ゑびや庄五郎に宿泊。宿泊代216文。ここより17人になる。ほかには所澤吉五郎が一人来ていない。

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 旅の一行だが、厚木で合流して17名になった。総勢18名の内、所澤吉五郎が一人、まだ来ていない。

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