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《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その2】

1215日 厚木(神奈川県厚木市)→小田原(神奈川県小田原市)約34km

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(北向観音 平塚市観光協会)

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(前島神社 平塚市)

■田村(平塚市)より一里。■四ノ宮(平塚市)、ここに観音堂(北向観音堂、平塚市四ノ宮3-14-18が北向きにある。次に山王社(前島神社:さきとりじんじゃ、神奈川県平塚市四之宮4-14-26があり、西向きである。一丈(約3m)まわりの椎の木がある。■八幡(平塚市)より十八町(約2km)。ここに八幡宮(平塚八幡宮、神奈川県平塚市浅間町1-6があり、南向きである。

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(広重 平塚

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(広重 大磯)

それより東海道に入る。

■平塚より二十六町(約2.8km)。■1215日、大磯より四里。宮代屋与三衛門にて昼食、100文。■梅澤(神奈川県中郡二宮町) ■前川(神奈川県小田原市) ■佐川(同)、ここに佐川があり、橋は長さ60間あまり。

1215日、小田原より四里八町。旅籠・福住屋源兵衛に宿泊。宿泊代232文。ここに、うゑろう丸薬屋(ウイロウ薬屋)が右側にある。次に大久保加賀守の御城(小田原城)がある。石高11万石。

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(ういろう ㈱ういろう提供)

 現在も続く「ういろう」である。元々は薬であり、薬業のかたわらに製造した和菓子・羊羹のういろうが、人気である。さて、この「㈱ういろう(神奈川県小田原市本町1-13-17)」には歴史がある。

 先祖は日本に帰化した中国・元の陳宗敬。戦国時代の永正元年(1504)、北条早雲により小田原に招かれた本家四代目の子・宇野定治(定春)を祖として小田原外郎家が成立し、外郎薬(ういろうぐすり)の製造が始まる。北条家滅亡後も外郎家は、豊臣家、江戸幕府の保護を受け続けたそうだ。

 江戸時代には痰(たん)切りをはじめ、万能薬として知られた。とくに二代目市川団十郎が、歌舞伎十八番「外郎売」で店や口上を紹介して人気を集めたようだ。

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(ういろう売り ㈱ういろう提供)

 熱海か塔の澤(箱根)へ湯治にお出でなさるるか、又伊勢御参宮の折からは、必ず間違いなされまするな。(江戸から上方へ)お登りならば右の方。お下りなれば左側。八方が八棟、三つ棟玉造り、破風(はふ)には、菊の桐のとうの御紋をご赦免あって、系図正しき薬でござる。

 

 (意訳)熱海や箱根に湯治に行く途中や伊勢参宮の折に小田原を通ったら、街道の右側に八棟造りの城郭建築の店がある。菊の御紋が許された由緒正しい薬である。

 

さて、この「ういろう」だが、胸腹痛、渋腹、胃痛、食中毒、消化不良、下痢、水中、宿酔、乗物酔い、日射病、口内炎、咳、痰のつかえなど、実に多くの効能が挙げられている。また、ういろうは「透頂香(とうちんこう)」とも呼ばれていた。

 

1216日 小田原(神奈川県小田原市)→三島(静岡県三島市)約37km

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(広重 小田原)

(小田原)福住屋より関所前まで金二朱(1/8両方、16万円として7,500円)にて、かごに乗る。ほかに百文の酒代(チップ)を出す。

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(広重 箱根)

■はた(畑、神奈川県足柄下郡箱根町) 立場(馬や人足の休憩場)のめうがや(みょうがや)畑右衛門にて小休止。ここに、雑煮餅の名物がある。次に箱根権現(箱根神社、神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1が巳午(南南東)向きにある。この神社の前に富士の巻き狩りのときに用いた(大きな)釜が二つある。西に大池があり、次にさいの川原(賽の河原)地蔵がある。

■新谷町(同)、1216日昼食、杉屋利助にて116文。ここに御関所がある。この間に相模と伊豆の国境がある。■箱根より三里二十八町。■山中(静岡県三島市) 左に愛宕山がある。

1216日、三島より一里半、旅籠・かちや十左衛門に宿泊。宿泊代216文。

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(広重 三嶋)

賽の河原というこの地は、地蔵信仰の霊地として、江戸時代、東海道を旅する人々の信仰を集めたところ。その規模は大きく、多数の石仏、石塔が湖畔に並んでいた。

しかし、明治時代に入ると、仏教の排斥から多くの石仏が失われ、また芦ノ湖畔の開発で、その規模が縮小した。現存する石仏、石塔の中にも鎌倉後期と推定される塔を始め貴重なものがあるそうだ。

 

1217日 三島(静岡県三島市)に滞在

 

1217日、大雨にて(三島、旅籠・かちや十左衛門に)逗留。ここに伊豆の国の一の宮である三嶋明神(三嶋大社、静岡県三島市大宮町2-1-5が南向きにある。御朱印530石。

 

1218日 三島(静岡県三島市)→由井(由比、静岡県静岡市清水区由比)

 

■(1218日)八幡(静岡県駿東郡清水町)。■喜瀬川(静岡県沼津市)、ここに36間の板橋がある。

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■沼津より一里半。ここに山王社(山王神社/沼津日枝神社、沼津市平町7-24が南向きにある。水野出羽守御城がある。石高5万石。次に富士浅間(沼津浅間神社、沼津市浅間4が右にある。左は千本松原がある。■はら(原、沼津市)より三里八町。■柏原村(静岡県富士市)、立場がある。次に浮嶋ケ原、うなぎの名物がある。次に本吉原村、左にびしやもん(毘沙門天妙法寺、富士市今井毘沙門町2-7-1、日蓮宗、山号:香久山)がある、ここに24間の橋がある。それまでも間、浮嶋原は三里。原宿より吉原まで124文にて馬に乗る。

 

■吉原(静岡県富士市)より一里六町、1218日昼食、甲州や喜左衛門にて80文。

■本市場(同)、立場である。白酒の名物がある。それより土橋を渡る。栗のこ餅の名物がある。次に富士見峠、左に富士が見える。ここに茶屋がある。■岩淵村(静岡県富士宮市)。■蒲原(静岡県静岡市清水区蒲原)より一里。

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(広重 由井)

1218日、由井(由比、静岡県静岡市清水区由比)より二里十二町、旅籠・うどんや四郎兵衛に宿泊。宿泊代216文。この間に由井川がある。

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