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《嘉永五年道中日記》を読む【その27】

29日 御嶽宿(岐阜県可児郡御嵩町)→中津川宿(岐阜県中津川市)約44.5km

 前日大雨が降った。それより十本峠がある。次に津馬瀬村藤上坂があり、きず薬を売る店がある。この店は。源三位・政公の屋敷跡から出たという。

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(広重 細久手)

 細久手宿(岐阜県瑞浪市)へ三里。この間に、くしざしもちを売る店あり。二つ刺し6文、名物である。

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(広重 大久手) 

大久手宿(大湫:おおくて宿、岐阜県瑞浪市)へ一里三十町。昼食64文。

 それより十三峠、ここに櫛屋があり、瀬戸物を焼く所がある。次にまきかね村、ここは立場(宿場の人馬の継ぎたて・交代をする場所)である。右側に大神宮様(所在不明)の石の灯籠があり、続いて坂がある。左側に西行法師の塚(西行塚、岐阜県恵那市長島町中野)がある。少し行くと、かけこしに出る。下って大井、24間の板橋がある。

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(広重 大井)

 大井宿(岐阜県恵那市)へ三里。この間に中津川、板橋32間である。これは(幕府の)天下普請である。次に土橋がある。

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(広重 中津川)

 中津(中津川)宿(岐阜県中津川市)へ二里。左側の旅籠・小松屋半次郎に29日宿泊。宿泊代132文。

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(栗きんとん すや)

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 中津川といえば、現代では「栗きんとん」である。名店がいくつかあるが、和菓子の中では一番好きな部類だ。江戸時代に存在したかどうかはわからない。

210日 中津川宿(岐阜県中津川市)→勝負平(長野県飯田市)※距離不明:「勝負平」が特定できない。飯田市の中心部で距離計算すると、この日の行程は60km以上になってしまう。雪の中、無理をしても徒歩だと140kmが限度と考えられる。

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(広重 落合)

 落合宿(中津川市)へ一里五町。ここに川があり20間の板橋がある。次に十石峠があり、登り下り五町。落合より二十二町登って茶屋があり、ここで狐こうやく(膏薬、名高い薬)を売っている。ここは、濃州・信州の国境である。

 「狐のこうやく」には、山中薬師と呼ばれる瑠璃山医王寺(中津川市落合1423-2)に伝わる伝説がある。

 昔々、山中の医王寺で和尚がいつものように庭掃除をしていると、狐が苦しそうにしているのを見つけた。抱き上げると、その狐の足には大きなトゲ。和尚がそれを抜いてやると、狐は嬉しそうに和尚の顔を見た後、山の中へ消えていった。ある晩、玄関の戸をたたく音がするので戸を開けると、そこにはこの間の狐がいた。助けてもらったお礼にと、狐はよく効く膏薬の作り方を教えに来てくれたのであった。和尚は教わったとおりに膏薬を作り、腰に貼ってみると、いつもの腰痛はどこへやら。喜んだ和尚が「御夢想狐こうやく」という看板を掲げて膏薬を売ると、村人はもちろん、遠くからわざわざ

買いに来る人が絶えなかったという。

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(英泉 馬籠)

 馬籠宿(旧長野県木曽郡山口村→2005年岐阜県中津川市へ編入)へ一里半。次に峠がある。それより下って元妻子という場所がある。橋場に茶屋がある。橋本屋、昼食64文。

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(広重 妻籠)

 妻籠宿(長野県木曽郡南木曽町)へ二里。それよりすぐ、みとのへ行く。この橋場より飯田道がある。右に入る道は女海道という。この間に峠がある。

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(妻籠宿 南木曽町観光協会)

 馬籠や妻籠には何度も行った。いまなお江戸時代の街道筋の街並みが残る。考えてみれば、この宿場は、いまでこそ観光客であふれているが、昔はあたり前のように山の中の静かな場所であったと思う。 

 蘭村(同)へ一里。ここは刺櫛(髪に刺す櫛)を多く生産している所である。

 廣瀬村(同)へ一里。ここには、あじろがさを作る所がある。それより木曽峠、ここに木曽領分と飯田領分の境がある。このとき雪が多く、五尺(約1.5m)ほど積もった。

 大平村(おおだいら、長野県飯田市)へ三里。ここもヒノキの網代笠を作る所である。それより飯田峠で、五十町である。

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 網代笠は、ヒノキをはじめ、タケ、マツ、スギ、イチイなどの経木(きょうぎ)を網代に組んでつくる笠で、平組みと綾(あや)組みの2種類がある。ヒノキの網代笠は、ヒノキガサ、ヒノキダマとよばれ、古く大和(やまと)国の大峰の修験者がもっぱら着装したので、ギョウジャガサともよばれた。その形態は円錐形で、現在は、軽快な日よけ笠、雨よけ笠として、おもに農山村で男子が着用している。

 勝負平村へ一里。左側の旅籠・中屋多兵衛に210日宿泊。宿泊代150文。

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コメント

妻籠宿 行きましたね(^・^) 鄙びた感じ 田舎町から行ってるのに(笑)

投稿: ikkun | 2012年10月 2日 (火) 15時57分

私は妻籠に泊まったことがあります。古くて汚い旅館だったのを覚えています。大雨で土砂崩れに巻き込まれ、大型バスは運行不能。峠をこえてJRで東京に帰ったことがあります。

投稿: もりたたろべえ | 2012年10月 2日 (火) 19時42分

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