« 昭和の中華食堂《生駒軒》@浅草雷門「麻婆豆腐」 | トップページ | 《嘉永五年道中日記》を読む【その31】 »

《嘉永五年道中日記》を読む【その30】

嘉永五年(185212日、武州・所沢(埼玉県所沢市)の下新井村を出発した13名の一行。東海道を行き、目指すは、伊勢詣と高野山・奈良・大坂・京都である。寺社参りが中心だが、各地で名物を食べ、とくに甘いものには目がない。帰路は草津(滋賀)から中山道・木曽街道を通り、信州へ。帰りのハイライトである善光寺も、まもなくである。(この江戸時代の旅日記を現代語に訳し、必要な箇所では解説を入れた)

Photo_3

214日岡田宿(長野県松本市)→小見宿(麻積:おみ、長野県東筑摩郡麻積村)約34km

(岡田宿)ここにて雪と雨が降った。次に安田峠がある。三十町(約3.3km)のぼり、上に茶屋が四軒ある。(峠の)下りは二十町(約2.2km)ある。

 刈谷原宿(旧四賀村、松本市)へ一里半。ここより(長野善光寺方面ではなく、東側の中山道の帰り道である)上田町に手荷物を回して(回送)もよい。

Photo_5

(藤池百体観音)

 会田宿(同)へ一里十町。吉川屋吉蔵にて昼食、64文。この間に立峠(岩井堂立峠)があり、のぼりは一里、右側に喜一塚(松澤喜一塚:現存)がある。次、左に大きな岩山があり、ここに寺があり、百観音(藤池百体観音、松本市四賀)がある。ここより難所である。

 

 藤池百体観音であるが、江戸時代に、各地の三十三番札所めぐりが流行した。これは、観音が人々を救う際に、33の姿に変化することにちなみ、各地に33の札所が設けられ、これを巡礼するもの。当時、巡礼のため旅立つことはなかなか難しかったことから、藤池の百体観音は、西国三十三番・秩父三十四番・板東三十三番の札所にちなみ、百体の観音が作られたそうだ。

 

 青柳宿(長野県東筑摩郡筑北村)へ三里。

この間に岩谷の切通し(大切通し)があり、15間(27.3m)の間、ここに百観音があり、さらにまた(300m程度、麻績方面に進むと)切通し(小切通し)がある。

 

 この切通しは、善光寺街道随一の名所である。天正八年(1580)に青柳伊勢守頼長により切り開かれた。元禄十一年(1698)には「長さ十三間五尺、横八尺五寸、高一丈」と記され、その後享保元年(1716)、明和六年(1769)、文化六年(1809)と三回にわたって工事が行われた。周辺には百体観音が安置されていた。この先には小切通し(麻績村境)がある。

 二つの切通しの開通により通行が容易になり、「善光寺街道名所図会」には「是(これ)に依て旅人堵も并(とも)に牛馬の往来聊(いささか)も煩(わずら)はしき事なく野を越え山を越して麻績(おみ)宿に至る」と記されている。現在の大きさは長さ27m、幅3.3m、高さ6m

 

 小見宿(麻績宿:おみしゅく、長野県東筑摩郡麻績村)へ一里十町。左側の旅籠・宮尾弥四郎に214日宿泊。宿泊代148文。

Waraji1

215日小見宿(麻績宿、長野県東筑摩郡麻績村)→善光寺(長野市大字長野元善町491-イ)約32km

小見宿(麻績宿)より猿ケ馬場という峠があり、のぼると池が右にある。ここに名物の柏餅があり、一つ3文である。(猿ケ馬場の柏餅は、広重の「二川」にもあるが、これは東海道、静岡の話で、別件である)雪道で難所である。

Photo_6

(真田帯)

 次に中村、ここに「さなだ帯」(を売る店)がある。また、桑原村(長野県更埴市)にも同じ帯がある。それより稲荷山へ行く。

 

 猿ケ馬場峠(さるがばんばとうげ)は長野県千曲市と東筑摩郡麻績村を結ぶ峠である。標高は964m。最難関の峠道であるとされた。善光寺への重要な参詣路の1つだった。松本城下と善光寺を結び、古来から物資はだけでなく、多くの文人墨客、武人らが通行したという。

  

 稲荷山(長野県長野市)へ三里。ここには茶屋が多い。篠ノ井追分(同)へ一里。右側のひしや丈次郎にて昼食、72文。この店(旅籠か茶屋)に手荷物を置き(一人前6文を払う)、善光寺へ参詣いたし、またここへ帰った。

 

 篠ノ井追分宿は、幕府が制定した宿場ではないが、塩尻方面から善光寺へ到る善光寺街道と北国街道との分岐点にあたる間(あい)の宿で、茶屋が繁盛したという。

 

 丹波嶋(丹波島、長野県長野市)へ二里。丹波川三瀬つなくりにて(渡るのに)船賃52文を出す。

 

 丹波島宿は、善光寺を目前に犀川超えの渡しを控えた宿場。現在の丹波島橋南詰が、かつての渡し口。渡し舟は、「つなくり」といって岸から岸へ渡した綱をたぐりながら進んだ。  

Mm

 善光寺へ一里。(善光寺の)前町の旅籠・藤屋平左衛門に215日宿泊。宿泊代164文。

|

« 昭和の中華食堂《生駒軒》@浅草雷門「麻婆豆腐」 | トップページ | 《嘉永五年道中日記》を読む【その31】 »

江戸時代の旅」カテゴリの記事

コメント

篠ノ井 長野市の南側 行った事は無いけれど 長野に来たと思える地名です

投稿: ikkun | 2012年10月 9日 (火) 20時52分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/177442/55831621

この記事へのトラックバック一覧です: 《嘉永五年道中日記》を読む【その30】:

« 昭和の中華食堂《生駒軒》@浅草雷門「麻婆豆腐」 | トップページ | 《嘉永五年道中日記》を読む【その31】 »