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《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その11】

14日 大の木(三重県津市一志町大仰)→新田(三重県名張市新田)約32km

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一行は、これより「初瀬(はせ)街道」を行く。古代からの道で壬申の乱の際、大海人皇子(天武天皇)が通った道でもある。また江戸時代には国文学者である本居宣長も歩いており、その様子は彼の著書である菅笠日記に記されている。

 三重県松阪市の六軒から津市、伊賀市、名張市、(奈良県)宇陀市を通り、奈良県桜井市までの十四里十七町(約56.8km34日)ルートである。

■大の木(津市一志町大仰)より一里。この間に大の木川、橋代2文。次に右に大日如来あり。(一志町日置、平楽寺の木造金剛界大日如来座像)

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(平楽寺 津市観光協)

■二本木(津市白山町二本木)より一里。

■中野村(中ノ村、津市白山町)より一里。

■かへど(かいと:垣内、津市白山町垣内)より一里。

■青山(伊賀市奥鹿野)より一里。それより青峠(青山峠)三里。上に茶屋がある。ここに伊勢と伊賀の国境がある。地蔵がある。次に石地蔵、弘法大師の作であり、盗賊と犬除けである。

 岩壁に彫られた磨崖仏で、弘法大師一夜の作という伝説から、青山大師とも呼ばれている。青山峠越えの道中安全を祈る旅人に崇拝されてきた。隣に六地蔵もある。

 また地蔵の向かい側に伊賀茶屋があったそうだ。

14日、伊賀茶屋より一里。何や三右衛門にて昼食、72文。

■伊勢地(現在の表記は伊勢路)より一里。この間に左側、村の鎮守である鹿島明神がある。ここに蟲喰(むしくい)の鐘がある。大道より少し回り道になるが、寄るほどのこともない。

 この鎮守は、大村神社(伊賀市青山)であると思われる。延喜式にも記されている、由緒ある神社で、国の重要文化財に指定されている宝殿や、日本三大奇鐘のひとつと言われる「虫喰鐘」、地震の神様と言われる「要石社」などがある。

「虫喰鐘」とは、江戸時代前期につくられた鐘で、上部のぼつぼつした飾りが虫が喰ったように腐食していることから「虫喰鐘」と言われているそうだ。 

 この鐘には、ある娘がとても大切にしていた鏡を、鐘を造るときに溶かして流し込んでしまったため、娘が虫となって鐘を喰いつくすようになったとも、鐘を造る材料を全国で集めていて、ある夫婦が亡くなった娘の忘れ形見である鏡を奉納したところ、亡くなった娘の亡霊が現れて、その晩からつり鐘が、虫が喰ったようにぼろぼろと腐食してしまったとも言われている。

■安保(阿保)より一里。

 阿保宿は、上野街道と八知街道が分岐する交通の要衝であった。上野・名張とともに藤堂藩からこの伊賀の地で3ヵ所許された商業の町。

 

14日、新田(名張市新田)より一里半。旅籠・井筒や孫右衛門にて宿泊。宿泊代180文。

15日 新田(三重県名張市新田)→三輪(奈良県桜井市三輪)約44km

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■名張より一里八町。(この宿場の)出口に柳瀬川がある。

■かたか(鹿高)より一里。(この宿場の)出口に鉄砲の的場がある。この間に伊賀と大和の国境がある。

■三本松より一里。(この宿場の)入口に元が1本の三本松がある。(元々は1本の松だが、幹が3本に分かれたもの)次に峠がある。この間に大野村、五丈四尺(16.4m)の弥勒観音が岩に刻んである。寄るほどのことはない。

 大野寺は室生寺の”西の大門”。修験道の祖役行者が開き、空海が堂を建立したと云われる。

 大野寺の前にある磨崖仏は、鎌倉初期に後鳥羽上皇の発願で、興福寺の僧雅縁が刻んだもの。承元三年(1209)に落成したもの。実際の高さは13.8m  

■山辺より一里半。ここに山辺(山部)赤人の古跡(墓)がある。次に福地村、ここに小田見次郎の御陣屋があり、石高3千石。

■灰原(奈良県宇陀市榛原町)より一里半。油屋三左衛門にて昼食、80文。

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(長谷寺 JR東海)

■はせ(長谷)より一里。吉野屋平左衛門にて小休止。ここに西国八番の観音がある。(長谷寺、奈良県桜井市初瀬731-1、山号:豊山(ぶざん)、真言宗豊山派総本山、本尊:十一面観音(重要文化財)。西国三十三箇所観音霊場の第八番札所。日本でも有数の観音霊場として知られる。大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。初瀬山は牡丹の名所。また古くから「花の御寺」と称されている。)ほかにもお参りする所が多い。仁王門の中には京間で82間(約163m)の回廊がある。

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(長谷寺回廊 ウィキペディア)

 長谷寺の風情ある昔ながらの門前町を抜けると、仁王門である。399段の長い長い回廊を登ると、舞台造りの本堂にたどり着く。背景の山々の木々など、ここからの眺めはすばらしい。西国札所八番のこの寺は、江戸時代にも庶民の信仰を集めた、人気のスポットであったことは想像にかたくない。

■黒崎村。まんじゅうの名物がある。

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(女夫饅頭 やまとびと提供)

この饅頭は、女夫饅頭(めをとまんぢゅう)という。最近復刻製造されたそうだ。これは、かつてお伊勢まいりの要路であり長谷寺に参拝する人々でも賑わった初瀬街道の参道筋の桜井市黒崎という地域に伝えられていたもので、道行く人々が必ずお土産に持ち帰ったという。(やまとびと提供)

■しをんじ(慈恩寺)

■追分(桜井市慈恩寺追分)より十八町。ここに三條古鍛冶宗近の刀鍛冶がある。それより少し行くと三輪明神(大神神社)がある。右に行くべし。

 

 「三条小鍛冶宗近」といえば平安時代からの名刀鍛冶。徳川将軍家伝来の国宝「三日月宗近」が知られている。

15日、三輪(奈良県桜井市三輪)より一里。旅籠・竹田屋甚七にて宿泊。宿泊代180文。

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