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《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その13】

18日当摩寺(奈良県葛城市當麻)→吉野(奈良県吉野郡吉野町)約29km

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■二條山當麻寺、ご朱印300石、本尊は蓮の曼荼羅。開帳(拝観)するのには1組につき100文。

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(当麻寺 葛城市提供)

 

 當麻寺(当麻寺、奈良県葛城市當麻1263)は山号二上山、高野山真言宗、浄土宗。

本尊として祀られる「當麻曼荼羅(たいま・まんだら)」は、奈良時代、中将姫が写経の功徳によって目の当たりにした極楽浄土の光景を壮大な規模で表したもので、中将姫を常に守護し、導いた守り本尊「導き観音さま」とともに今も多くの人々のよりどころになっているそうだ。

 

■高田(奈良県大和高田市)より五十町。ここに京都門跡の出先がある。

■八木(奈良県橿原市)より一里。この間に右に天香具山、左に耳成山が見える。

 

 大和三山である。奈良県北部、橿原(かしはら)市にある畝傍山(うねびやま、199m)、天香久山(あめのかぐやま、152m)、耳成山(みみなしやま、140m)。奈良盆地の南部に藤原宮跡を囲むように、北の耳成山を頂点として三山がある。

 

■安部(奈良県桜井市)より一里。ここに文殊菩薩(安倍文殊院、奈良県桜井市阿部645、安倍山、華厳宗、本尊は文殊菩薩)がある。堂は南向き、ご朱印30石。堂の右に奥行き四間ばかりの岩穴があり、中に弘法大師がつくった地蔵がある。それより南に文殊の加持井戸がある。

 

 この安倍文殊院は、陰陽師・安倍晴明の出生地とも陰陽道の修行をした場所とも伝わっている。獅子に乗った木彫極彩色の本尊文殊菩薩は、快慶の作。総高7mあり文殊様では日本最大で重要文化財に指定され、学問、智恵の授かる仏様として知られ、受験生の参拝も多く見られるそうだ。

 

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(飛鳥坐神社 JR西日本)

■あすかより八町。ここに大神宮(飛鳥坐神社:あすかにいますじんじゃ、奈良県高市郡明日香村大字飛鳥字神奈備708)がある。これは六ヶ村の氏神様であり、末社が88箇所ある。

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(橘寺 明日香村地域振興公社)

■立花寺(橘寺、奈良県高市郡明日香村大字橘、天台宗、正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」、本尊は聖徳太子・如意輪観音)より八町。ご朱印6石。ここは聖徳太子の誕生所である。

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(岡寺 明日香村地域振興公社)

■岡寺(奈良県高市郡明日香村806、真言宗豊山派。山号は東光山、寺号は龍蓋寺:りゅうがいじとも称する。本尊は如意輪観音。西国三十三箇所第7番札所)より五十町。薬や源太郎にて昼食、80文。(岡寺は)ご朱印30石、奥の院に、るりの井戸がある。

■多武の峯(多武峰談山神社:たんざんじんじゃ、奈良県桜井市多武峰319)より八町。この場所は女人禁制。本社(本殿の祭神は)藤原鎌足公である。神社には仏様も多い。東照権現があり、ご朱印3千石。宿坊は42箇所、十三重の塔がある。(寺の)前の茶屋へ荷物を預けて参詣すべし。

 

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(談山神社 オンラインアルバムZorg)

 談山神社は、明治初期の神仏分離以前は寺院であり、「多武峯妙楽寺」といった。当時は、女人禁制の地で、女性は入山できなかった。神社の祭神は藤原鎌足(談山大明神・談山権現)。桜と紅葉の名所である。徳川家康により3千石を寄進され復興し、本殿は日光東照宮造営に際してモデルとなったことは知られている。しかし、ここに家康を祀った東照権現があったかどうかは定かではない。

■四軒茶屋(奈良県桜井市)より一里半。ここにて大和の国、一目に見えて風景がよい。この間に高取の城が見える。植村駿河守のお城で石高3万石。

■龍の畑より一里。この間に千股峠(奈良県吉野郡吉野町千股)があり、上り下りで十八町。

■上市(奈良県吉野郡吉野町)より一里。ここに吉野川、桜の渡しがあり、渡し賃は一人前10文。ここにて左に芋山、右に瀬山が見える。この間に桜が多い。

18日、吉野(同)より一里。旅籠・福知や政之丞にて宿泊。宿泊代180文。

 

19日吉野(奈良県吉野郡吉野町)→かむろ(和歌山県橋本市学文路)約37km

 

■(吉野)ここにかねの鳥居がある。次に蔵王大権現堂、十八間(32.7m)四方で南向き、柱は72本。一本つつじの柱がある。この木のまわりは8尺(2.4m)、長さ(高さ)は31尺(9.4m)ある。ご朱印は1100石余り。宿坊の数は百軒、古跡やお参りする所が多い。源義経公の駒(馬)つなぎ松や駒の足跡が岩に残る。弁慶が石に釘を通したものが光っている。楠公の陣鐘がある。

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(吉野 金峯山蔵王堂 吉野山観光協会)

 吉野山と義経については、数々の物語がある。要約する。木曽義仲を討ち、一ノ谷の合戦、屋島の合戦、壇ノ浦の合戦などで功をあげた義経に対し、兄・頼朝は、弟の活躍を喜ぶどころか、自分の身が危うくなるという危機的心情にあったようだ。やがて頼朝は義経追討の兵を出す。追い詰められた義経は、静御前や弁慶などの家来を連れて吉野へ。おなかに子を宿していた静御前は、京に返すことにした。(実際には鎌倉まで連れて来られ、出産したものの、子は殺される)

 やがて吉野山を下ることに決めた義経は、奥州を目指す。頼朝が敷いた広く強固な包囲網のため、義経の逃避行に用意された地は、理解者・藤原秀衡が統治する平泉を措いて他になかった。しかし秀衡の病死。もはや義経は、自害するしかなかった。

 

■月田(奈良県吉野郡吉野町)より一里。吉野川、柳の渡し、一人前10文。

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(吉野川 五條市観光協会)

■六田(同)より一里。

■土田(奈良県吉野郡大淀町土田)より一里。この間にかのう筆拾の岩が吉野川の中にある。

■阿田(奈良県五條市)より一里。この間にうの(宇野)峠があり、上り下り廿町ほどである。

■右野(奈良県五條市宇野)より一里。

■五條(同)より二里。帯や次郎兵衛にて昼食、80文。ここに天下の御陣屋(五條陣屋、代官所)があり、石高35千石。この間にま土(まつち)峠がある。峠を下って大和と紀伊の国境、川にある。

■橋本(和歌山県橋本市)より一里。この所までもどるべし。吉野川の船渡しがある。

■三軒茶や(同)より一里。

19日、かむろ(和歌山県橋本市学文路)より一里。旅籠・米や才右衛門にて宿泊。宿泊代180文。

 

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 学文路(かむろ)は和歌山県北東部の橋本市。旧学文路村。紀ノ川南岸に臨み、高野山参詣路の不動坂道の上り口にあたり、浄瑠璃で知られる石童丸(いしどうまる)にちなむ苅萱(かるかや)堂で有名。南海電鉄高野線の学文路駅があり、この駅の入場券は受験のお守りとして人気だそうだ。

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コメント

しかし同じ地名ってありますね(笑)

新潟 旧高田 今は上越市

三軒茶屋に 四軒茶屋?

東京の信濃町 長野県の信濃町 (^-^)

投稿: ikkun | 2012年11月28日 (水) 18時00分

ikkunbeer
コメントありがとうございます。
日本各地に同じ地名ってありますね。

投稿: もりたたろべえ | 2012年11月29日 (木) 09時36分

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