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《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その5】

1223日 戸倉(静岡県浜松市天竜区龍山町戸倉)→大野(愛知県新城市大野)約37km

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■(戸倉)この間に天龍川(天竜川)があり、舟で渡る、一人前18文。それより難所である。

 

天竜川(てんりゅうがわ)は長野県から愛知県、静岡県を経て太平洋へ注ぐ一級河川である。流路延長は213kmで全国9位。

長野県の諏訪湖を源流とする。伊那谷を形成し、一部愛知県をかすめ、静岡県へ。浜松市と磐田市の境を流れ遠州灘に注いでいる。

 

■西川(静岡県浜松市天竜区龍山町)より一里半。

■石打(静岡県浜松市天竜区春野町石打松下)より二里。この間に板橋があり、(渡り賃)2文。続いて坂が多い。

■熊村(静岡県浜松市天竜区二俣町)より一里半。

■大平(同)より一里半。山本や九兵衛にて昼食、72文。この間に橋があり、(渡り賃)2文。次に大きな坂がある。次に岡保峠があり、ここに遠州と三州の国境がある。

 

遠州は、遠江国(とおとうみのくに)現在の静岡県西部地区。三州は、三河国で現在の愛知県東部である。

 

■巣山(愛知県新城市巣山)より一里半。この間に菖蒲峠がある。

1223日、大野(愛知県新城市大野)より一里。旅籠・山品や半兵衛にて宿泊。宿泊代200文。

 

1224日 大野(愛知県新城市大野)→御油(愛知県豊川市御油町)約39km

(大野)この場所からかど谷町まで荷物を運んでもらのがよい。代金は16文だが、二十五町目に行者もどしという難所がある。

 

鳳来寺より九町。東照権現(鳳来山東照宮)御玉屋(本殿)は南向きである。御朱印は1500石、薬師如来元三大師がある。

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(鳳来寺寺:新城市観光協会)

鳳来寺(愛知県新城市門谷字鳳来寺1)は、江戸時代、慶安元年(1648年)4月、日光東照宮へ参拝した折に『東照社縁起』を読み、徳川家康の出生と三河国設楽郡の鳳来

寺との縁(家康の父母である松平広忠と正室於大の方・伝通院は、子のできないことを憂い、祈願のために夫妻そろって領内の鳳来寺に参篭したところ、間もなく家康を

懐妊したという)に感銘を受けた江戸幕府3代将軍家光が、鳳来寺の本堂修復と薬師堂の再建を発願。それにあわせて家康を祀る東照宮(鳳来山東照宮、愛知県新城市門谷

字鳳来寺4)の造営事業を新たに進めた。、家光が亡くなり、跡を継いだ4代将軍家綱が命じて慶安4年(1651年)に社殿が竣成、以後、鳳来寺を別当寺と定め、明暦2

1656年)には幕府から社領470石の寄進があり、江戸時代を通して10回に及ぶ修理が幕府により行われている。最終的には、東照宮の運営領を含む1350石が新たに鳳来寺領となった。

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(鳳来山東照宮:新城市)

■かど谷より三里。やなぎ屋にて小休止。

■瀬川村 ここに瀬川があり、船賃5文。ここは縄くり渡し(船に乗って川に渡した縄をたぐる)。

■しん城(愛知県新城市)より二里半。柏屋惣右衛門にて昼食、84文。

■大木(愛知県豊川市大木町)より一里。この間に左、豊川、右、御油道の立石(標識)がある。

■豊川より二里。ここに三河国一ノ宮砥鹿大明神(砥鹿神社、愛知県豊川市一宮町西垣内2があり、社は南向きである。それより八町ばかり行くと、豊川稲荷大明神が卯辰(東南東)に向かってあり、本社(本殿)より奥院までの間に、鳥居が227ある。神楽堂に大きな太鼓がある。豊川より御油の間に広い野原があり、宿場の取りつき(入口)に板橋がある。

 

 豊川稲荷は神社ではなく曹洞宗の寺(妙厳寺)であることは、意外に知られていない。実際に私も神社と思っていたが、訪ねてみると、寺である。ところが、すっかり街に同化して、神社の門前町が形成されている。

 

1224日、(御油)旅籠・いてうや(いちょうや)伊左衛門にて宿泊。宿泊代200文。

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