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《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その6】

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1225日 御油(愛知県豊川市御油町)→鳴海(愛知県名古屋市)約43km

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(広重 御油)飯盛女が旅籠に勧誘をする。気の弱い旅人を力づくで引き入れる。 

■(御油)赤坂より三里。■藤川より一里三十町。ここに30間の土橋がある。つぎに大岡越前守の御陣屋があり、石高1万石である。

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(広重 岡崎)橋が架かる川は、矢作川(やはぎがわ)である。橋の長さは300m以上。

■岡崎より三里半十三町。ここに本多中務太夫の城(岡崎城)がある。石高5万石。次に矢矧(やはぎ)の橋、長さ208間(380m)があったが、卯年(3年前)の大水で橋は(流され)落ちてしまったため、舟による渡しで代金は3文。橋に石高1万石がある。それより行くと、右に義経公の菩提所がある。(菩提寺ではなく、義経ゆかりの寺・誓願寺、岡崎市梅園町虎石10-1

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(岡崎城 岡崎市観光協会)

■大濱村(愛知県安城市)。ここは奥州福島の領分(領地)で石高1万石の御陣屋がある。

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(広重 池鯉鮒)

■池鯉鮒(ちりゅう、愛知県知立市)より二里半十二町。ここに池鯉鮒大明神(知立神社、知立市西町神田12がある。■今川村(愛知県刈谷市)、ここに名酒がある。次に境川があり、これは三州と尾州の国境である。

 

三州は三河国(みかわのくに)。現在の愛知県の東部。尾州(びしゅう)は尾張国(おわりのくに)。現在の愛知県西部。

 

 次に今川義元と織田信長の大合戦の場所があり、ここを桶狭間という。ここにはいろいろ古跡があり、右の田んぼの中に鐙掛け松がある。

 

 桶狭間の戦いは、諸説あるが今川義元軍総勢2万を超える大軍の内、本体5000600の兵が、織田信長軍の精鋭2000の奇襲に敗れ、義元は戦死した戦である。これを機に今川氏は没落、信長は覇権を極めていったことが知られている。

 

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(広重 鳴海)商家ののれんも鳴海絞りである。

■あり松(有松)。ここでは、なるみしぼり(鳴海絞)の名物が産出される。

1225日、鳴海より一里半。旅籠・銭や新三郎にて宿泊。宿泊代200文。

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