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《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その7】

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1226日 鳴海(愛知県名古屋市緑区鳴海町)佐屋(愛知県愛西市)→約27km

■(鳴海)ここに天林山龍福寺(天林山 笠覆寺:りゅうふくじ、名古屋市南区笠寺町上 新町 83、真言宗智山派)があり、本尊は観音(笠寺観音)である。御朱印は二町三反三畝。

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(広重 宮)

■みや(宮、名古屋市熱田区)より一里半。桑名へ行くなら海上(船)七里。ここに熱田明神(熱田神宮、名古屋市熱田区神宮1-1-1があり、御朱印1万石。ここより右へ行くべし。

 

1226日、名古屋より二里。近江屋清八にて昼食、100文。ここに尾張大納言城(名古屋城)があり、石高62万石。御天子(君主)がいる。それより城に沿って左に行き、右に金のしやちほこ(金の鯱)が見える。この間に76間の橋があり、次に26間の橋がある。

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 慶長17年(1612)、名古屋城の天守閣が完成した当時の金鯱は、一対(雌雄)で慶長大判1940枚分を溶かして使用した。純金にして215.3kgの金といわれている。高さは約2.74mあった。その後、江戸時代には藩財政悪化に伴い、三度にわたってこの金鯱の金が溶かされ、藩費に使われたため、金の純度が下がっていったそうだ。

 

甚目寺(愛知県あま市)より三里。ここに鳳来山甚目寺(愛知県あま市甚目寺東門、

鳳凰山、真言宗智山派、本尊は聖観音。別称は甚目寺観音)があり、本尊はかん音、御朱印300石。

 

■津嶋より十八町。ここに牛頭天王大社(津島神社愛知県津島市神明町1)がある。御朱印1300石、神主は13軒。

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(津島神社 津島市提供)

 由緒ある牛頭天王社の総本社として、古くから手厚く信仰されていた津島神社。江戸時代には、「津島参らにゃ片参り」と言われ、お伊勢参りの折りに、津島神社に参拝することがならわしとされていた。いまでも、尾張近郊の人々はもちろん、東北、関東の人々からも「津島さん」、「天王さん」などと呼ばれ、崇敬されているそうだ。

 

1226日、佐谷(佐屋、愛知県愛西市佐屋町)より三里。旅籠・ゑびすや藤八に宿泊。宿泊代200文。

 

1227日 佐屋(愛知県愛西市)→神戸(かんべ、三重県鈴鹿市神戸)約38km

(佐屋)ここに舟役所があり、御條目(箇条書きにした乗船時の規則)をきき、それより舟に乗る。桑名へ川舟で三里。船賃48文。この間に尾張と伊勢の国境がある。

 

三里の渡しは佐屋川から木曽川へ入り、鰻江(うなぎえ)川を通って桑名で東海道に合流する3里(約12km)の航路であった。宮宿と桑名宿の間の距離は陸路とあわせて計9里となり七里の渡しを使用する場合に比べ、遠回りではあったが、川を通るため海上に出る七里の渡しに比べれば、難破の危険や船酔いを避けることができたため、盛んに利用された。三里の渡しの名称はこの航路の長さに由来する。

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(広重 桑名」)

■桑名より三里八町。蔦や孫三郎にて昼食、100文。ここに松平越中守の城があり、石高1万石。この間に105間の橋がある。次に57間の橋がある。焼蛤(を売る店)が多い。

 

■富田村(三重県四日市市)。この間に大きな大橋がある。

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(広重 四日市)

■四日市(同)より五十町。宿場の中に大きな土橋がある。次に八幡宮(八幡神社、四日市市八幡町11-5)がある。

追分(同)より一里半。ここに右、京道と左、伊勢道の立石(石の標識)がある。

 

 「日永追分(ひながおいわけ)」という。東海道と伊勢街道の分岐点である。この旅も東海道を離れ、伊勢街道へと入って行く。

 

■高岡村(三重県鈴鹿市)。この間に85間の橋がある。

 

1227日、神戸(かんべ、鈴鹿市)より一里半。旅籠・道具や善八に宿泊。宿泊代180文。

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