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《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その16】

113日・14日大坂日本橋滞在(大坂日本橋の旅籠・升屋市兵衛に12日から3泊)

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13日、ここに逗留して芝居見物。

14日、朝五ツ時(午前8時頃)、同行のメンバーを二組に分け、一組につき200文を払い、案内人を頼み町々を見物した。

 それより仁徳天皇陵(大仙陵古墳〔伝仁徳天皇陵〕、大阪府堺市堺区大仙町7-1)へ参詣、社は南向きである。次に生玉明神社(生玉魂神社、大阪市天王寺区生玉町)へ行く、社は東向き。これは太閤秀吉の鎮守(の神社)である。それより妙法寺(大阪市東成区大今里4丁目16-50)へ行き参詣した。門内によい松がある。それより御城(大阪城、大阪市中央区大阪城1-1)の前に出て、天神橋を渡る。橋の長さは120間(約218m)。それより天満宮へ参り、天満橋を渡る。次に東門跡西門跡へ参詣した。それより虎屋(虎屋饅頭本店、大阪市中央区博労町3丁目3-16)まんじゅうの名物を買う。次に(有名な)四ツ橋のきせるやがある。それより竹澤のこま(の曲芸)を見物、一幕18文。それより(旅籠)升や市兵衛方へ帰って泊まる。

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(伝仁徳天皇陵 OSAKA-INFO)

 伝仁徳天皇陵は、全長約486m、後円部径約249m、高さ約35m、前方部幅約305m、高さ約33mの日本最大規模の前方後円墳。最近の発掘調査で、須恵器の甕(かめ)の破片が出土したりしていることから、考古学的には、この古墳が5世紀半ば~後半につくられた可能性が高く、仁徳天皇の陵であるとすることに否定的な見解が唱えられている。

  生玉明神は、天正十一年(1583)豊臣秀吉が大阪城築城のため、社領を寄進し社殿を造営し、天正十三年(1585)に現在の鎮座地に遷されたと伝えられている。

 

 こまの曲芸(曲ごま)は、天保10年(1839)頃から大坂の難波新地で興行されていたそうだ。江戸の竹澤藤次(三代目)一座が人気を博していた。

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◆大坂・日本橋(大阪府大阪市中央区・浪速区日本橋)→兵庫(兵庫県神戸市兵庫区)約38km

115日出発。この間に豊川の渡し6文。次につく田の渡し6文。次に尼崎辰巳の渡し6文。

■尼ヶ崎(尼崎、兵庫県尼崎市)より二里。この間に橋あり、橋代5文。次に枝川、橋代5文。

■西ノ宮より二里。太神宮前角屋にて昼食、114文。ここにゑびす太神宮社(西宮えびす神社、兵庫県西宮市社家町1-17)が、南向きにある。末社が多い。この間に、なだ酒屋(灘の酒造)が多い。ここにさざれ石がある。

 

 江戸時代後期に酒処として急成長した灘は、現在の神戸市から西宮市にかけての海岸地帯。酒造りに適したミネラル分の高い水「宮水」の発見、六甲山系から流れ出る急流の河川を利用した水車による精米、海岸地帯に造った大規模な酒蔵で仕込み時期を寒気に集中した「寒造り」、酒を船積みするのに適した海岸地帯の立地条件など、酒造りに適した環境を活かし、やがては先進酒造地である伊丹や池田を上回る量の酒を生産するようになった。

 

■川原町(兵庫県西宮市)より二里。

■磨谷山より一里。(坂を)登る難所。本尊が観世音の堂が巳(南々東方向)向きにある。辰巳(東南)の方角に大坂城が見えてよい風景である。

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(広重 摂州布引の滝)

■布引瀧(布引きの滝、神戸市)より半里。

この間に生田森大神宮(生田神社、神戸市中央区下山手通り1-2-1)あり。ゑびらの梅・梶原の井戸・あつもりはぎ・弁慶逆竹がある。

 

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(生田神社 神戸市提供)

 生田の森が、生田神社の境内にあり、本殿の裏にうっそうと繁っている。もともとはもっと広い範囲に森が及んでいた。

「一の谷の戦い」の際には、一の谷とともに平家が陣を張り、源氏の総大将・源範頼(のりより)と平知盛(とももり)が激しい戦いを繰り広げた。

 生田神社の境内には、源氏の武将・梶原景季(かげすえ)が矢を入れる「えびら」に梅の小枝を挿して戦ったというエピソードにちなんだ「えびらの梅」などがある。(参考:神戸市)

 

■神戸より一里。ここに楠公(楠正成)石塔がある。この間に湊川がある。楠公が討ち死した場所。川が高い所を流れていて(いま)水はない。

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(楠正成墓 神戸市提供)

 神戸の地域は摂津・播磨の両国にまたがり、当時の首都・京都と瀬戸内海方面を結ぶ海上交通の重要な拠点となっていた。

神戸は同時に軍事上の拠点ともなり、南北朝時代には楠木正成(くすのきまさしげ)が京都奪回を目指す北朝軍と湊川で戦い(湊川の戦い・1336年)、敗れて戦死したことでも有名。(参考:神戸市 産業振興局 観光コンベンション部 観光コンベンション課)

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115日、兵庫より五十町。旅籠・升屋長右衛門て宿泊。宿泊代224文。

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