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《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その18】

117日高砂(兵庫県高砂市)→西坂本(兵庫県姫路市)約18km

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■高砂(兵庫県高砂市)ここに高砂の松がある。この間に荒川の渡し、8文。

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(生石神社拝殿 神戸観光壁紙写真集)

■石宝殿(生石神社〔おうしこじんじゃ〕、兵庫県高砂市阿弥陀町生石171)より半里。神社前の茶屋にて小休止。ここに淡嶋明神大黒殿が辰巳(南東)の方角にある。裏に三間(5.5m)四面の石があり、高さは三丈五尺(10.6m)。

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(生石神社 高砂市観光協会)

 生石神社は、石の宝殿と呼ばれる巨大な石造物を神体としている。神社の裏手にある石の宝殿は、横6.4m、高さ5.7m、奥行7.2mの巨大な石造物で、水面に浮かんでいるように見えることから「浮石」とも呼ばれる。

 多くの謎につつまれ、仙台塩釜神社の塩釜、宮崎県霧島神社の天逆鉾と並んで日本三奇の一つに数えられている。いつ、誰が、何のために作ったのか、不思議な石造物として訪れた人の目を驚かせているそうだ。

 

■曽根(兵庫県高砂市)より廿町。ここに天神社(曽根天満宮、兵庫県高砂市曽根町2286-1)、曽根の松がある。

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(曽根の松 神戸観光壁紙写真集)

■豆崎(同)より一里。昼食。この場所より姫路城のご天主(天守閣)が見える。

■御着より一里。この間に市川橋、橋代10文。

 

■姫路より五十町。ここに酒井雅楽守の城(姫路城)があり、石高15万石。この場所には革細工(の店)が多い。本家は立花や庄次郎。町はずれに書写山(へ行く)道があり、右に入る。

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(姫路城 姫路市提供)

 姫路城は、別名・白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう)。江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、建築物は国宝や重要文化財、城跡は国の特別史跡に指定されているほか、世界遺産に登録されている。日本100名城でもある。

 実際に行ってみると、姫路城は大きく美しい。しかしバスの駐車場からはかなり遠い。添乗中にお客様が、なかなか集合時間に戻らず苦労した思い出がある。

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(播州姫路革店之図)

  革製品は、姫路城下の名産のひとつである。江戸時代中期に塩と菜種油で揉み上げ、天日に晒して作る「白なめし」の技術を完成させてからは、姫路の革製品は特別の地位を築いていった。革は金銀に彩色され、草木花果鳥虫などが美しく写された。革細工の財布、煙草入れ、硯箱、文庫など多様な容器が製造・販売されていた。見た目がよい上に軽くて丈夫な姫路の革製品は、旅人のみやげ物として最適な製品であったようだ。

 117日、西坂本(兵庫県姫路市)より一里。旅籠・石橋や彦兵衛にて宿泊。宿泊代180文。

 

118日西坂本(兵庫県姫路市)→片上(岡山県備前市)約66km(距離計算をすると66km以上になってしまう。途中で馬、駕籠、船などを使ったものと推定される)

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■青山(兵庫県姫路市)より二里。

■いかるがより半里。この間にいかるが川、橋代3文。

■門前(兵庫県たつの市揖保町門前)より半里。

■正條(しょうじょう、兵庫県たつの市揖保川町正條)より半里。この間に赤穂道がある。

■片嶋(兵庫県たつの市揖保町片島)より二里半。

■鶴亀(兵庫県相生市)より二里半、鶴屋千蔵にて昼食、85文。この間に舟渡し12文。

■宇根(兵庫県赤穂市)より三里。この間に播磨箱根と備前箱根という峠が二つある。間に国境がある。

■三ツ石(岡山県備前市)より二里。

118日、片山(同)より二里。旅籠・ゑびすや林次郎にて宿泊。宿泊代200文。

 

119日片上(岡山県備前市)→夏川(岡山県岡山市)推定40km

 

■片上(岡山県備前市)、この間に吉井川、舟渡し18文。

■一日市(ひどいち、岡山県備前市)より三里半。ここより一人前100文にて舟に乗り、四里の間(を行く)。

■藤井より二里。

■岡山(岡山県岡山市)より二里。吉野や助次郎にて昼食、100文。ここに松平内蔵頭の城(岡山城、岡山市北区丸の内2-3-1)がある。石高□□□。京橋という大橋がある。

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(岡山城 おかやま観光コンベンション協会)

  慶長二年(1597)、豊臣家五大老の一人・宇喜多秀家が築城した岡山城。三層六階の堂々たる天守閣は織田信長の安土城を模して築かれたと伝えられ、全国的にも珍しい不等辺五角形の天守台をしている。関ヶ原合戦以前の古式を伝える貴重な天守である。また、当時は築城技術の発達が著しい時期で、岡山城は大坂城、広島城と並んで近世城郭のさきがけとなった。黒い下見板張りの外観から別名「烏城(うじょう)」と呼ばれている。戦前、国宝であった天守閣は戦災で焼失、現在は復元されている。

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(吉備津彦神社 おかやま観光コンベンション協会)

■吉備津(同)より二里。ここに備前一の宮の吉備津大明神(備前一の宮・吉備津彦神社、岡山市北区一宮1043)が寅向き(東北東方向)にある。この間に備前と備中の国境がある。

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(吉備津神社 おかやま観光コンベンション協会)

■吉備津より半里。ここに備中の国の一の宮、吉備津大明神(備中一の宮・吉備津神社、岡山市北区吉備津931)がある。(大明神の本殿は)子丑(北々東)向き。長さ200間(364m)ばかりの回廊がある。

 吉備津神社であるが、ややこしいことに同じような呼び名の神社が近くに三社存在する。すべて祭神は、大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)である。備前国一宮・吉備津彦神社は、岡山県岡山市北区一宮1043に、備中一宮・吉備津神社は、岡山市北区吉備津931にある。さらに備後国一宮・吉備津神社は、広島県福山市新市町宮内400にある。元々、吉備国の総鎮守として存在していたが、吉備国の三国(備前・備中・備後)への分割により、備中国の一宮とされ、分霊が備前の吉備津彦神社と備後の吉備津神社となったそうだ。吉備津神社は、桃太郎伝説で有名。

 

■宮内町(岡山県岡山市)。ここは前町である。

119日、夏川(同)より一里。旅籠・角屋常右衛門にて宿泊。宿泊代200文。

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