« 昭和の中華食堂《生駒軒》@浅草雷門「炒肉片」 | トップページ | 《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その20】 »

《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その19】

120日夏川(岡山県岡山市)→下村(岡山県倉敷市)・・・船中泊(四国丸亀まで) 約24km+海上28km=合計で約52km

Bl

■早嶋(岡山県都窪郡早島町)より二里。

■藤戸(岡山県倉敷市)より二里。

■ゆうが山(由加山)より一里。竹嶋や松五郎にて昼食、100文。ここに、ゆうが山大権現由加神社本宮および蓮台寺、岡山県倉敷市児島由加)がある。(本殿は)巳午(南南東)向き。この場所には小倉帯(を売る店)が多い。

Photo

(広重 偸賀山:由加山)

行基がこの由加(ゆが)山に「瑜伽大権現」(ゆがだいごんげん)として祀り、寺社を建てた。瑜伽大権現は、日本三大権現の一つとして数えられる。

 現在の由加山蓮台寺と由加神社本宮を総称して「由加山」と俗に称されている。瑜伽大権現の総本山、また厄除けの総本山として知られ、二千有余年の歴史を持っている。

120日、下村(岡山県倉敷市)より海上(船で)七里。下村の旅籠・花屋菊平にて仮眠、宿泊代100文。ここより夜の四ツ時(午後10時)、船に乗り出発。船賃100文、布団の損料(借り賃)24文。このあたりには塩田が多い。

121日(船)丸亀(香川県丸亀市)→内町(香川県仲多度郡琴平町内町)約14km

Photo_3

(丸亀船着き場:丸亀市提供)

Photo_4   

(丸亀城:丸亀市提供)

121日、四ツ時(午前10時頃)、(四国)丸亀(香川県丸亀市)に到着。丸亀より三里。八嶋屋伊右衛門にて(遅めの朝食・早目の)昼食、100文。ここに京極長門守の城(丸亀城)があり、石高75千石。

■屏風浦(屏風ヶ浦〔びょうぶがうら〕、香川県仲多度郡多度津町)より廿町。ここに弘法大師の誕生の地がある。本尊弘法大師、ここにて生まれたるときの取り上げ井戸がある。

Photo_5 

(屏風浦海岸寺奥の院 金毘羅参宮名所図会)

 空海(弘法大師)は、宝亀五年(774)、讃岐国多度郡屏風浦で生まれたそうだ。

 屏風浦の海岸寺(香川県仲多度郡多度津町西白方997、真言宗醍醐派)の奥の院には、大師堂や弘法大師産湯の井戸がある。寺伝によれば、ここは空海の母親の出身地とされる。さらに奈良時代後期の宝亀5年(774年)にこの奥の院で生まれたとされている。諸説あるが、善通寺も空海が誕生した場所といわれている。

100 

(弥谷寺 中国四国名所旧跡図)

■弥谷寺(いやだにじ、香川県三豊市三野町大見乙70、山号:剣五山、真言宗善通寺派、本尊:千手観音、四国八十八箇所霊場の第七十一番札所)より五十町。ここに弘法大師の学問所という、八畳敷ばかりの岩穴がある。開帳(見学)するのには18文。ここへ行く道は難所である。

 空海(弘法大師)は713歳の期間、弥谷寺の岩窟、獅子窟で修行したという。また、大同2年(807)、唐から帰国後の空海は、この地を再び訪問し、蔵王権現のお告げにより千手観音を安置し伽藍を再興、山号を剣五山千手院、寺名を弥谷寺と改めたそうである。

100_2 

(善通寺 四国ネット)

■善通寺(香川県善通寺市善通寺町3-3-1)より一里。堂は東向きで七堂伽藍である。

 善通寺こそ空海の誕生の地といわれる。正式には屏風浦五岳山誕生院という。(真言宗善通寺派の総本山)。本尊は薬師如来。四国八十八箇所霊場の第七十五番札所だ。平安時代初期の大同二年(807)、善通寺は、地元の豪族で空海の父・佐伯善通を開基として創建された。伽藍は創建地の東院と、空海生誕地の西院(御誕生院)に分かれている。

Photo_6

(金銅錫杖頭 総本山善通寺宝物館)

 空海が唐から持ちかえったものとされる金銅錫杖頭(こんどう しゃくじょうとう)は、国宝である。

■内町(香川県仲多度郡琴平町内町)より十町。旅籠・吉嶋屋吉右衛門にて宿泊。宿泊代250文。

122日内町(香川県仲多度郡琴平町内町)→門前(兵庫県たつの市揖保町門前)船が入ったため移動距離不明

Ana

(金比羅宮 ANA旅達空間)

■金毘羅大権現(金刀比羅宮、香川県仲多度郡琴平町892番地1)より三里。開帳致すのは1200文。(1貫は1000文だからおよそ12,000円~24,000円とかなり高い。この拝観料は18名分であろう)

社(本殿)は寅卯(東北東)向き、ご朱印330石、別当(管理する寺院は)金光院である。ここでお札を求め、町で箱を買いお札を入れるとよい。

 いよいよ旅後半のハイライト、こんぴらさんである。はじめは琴平神社と称していたが、本地垂迹説の影響を受け、金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)と改称。永万元年(1165)に相殿に崇徳天皇を合祀する。明治元年に、「金刀比羅宮」と改称し、現在に至っている。

 金刀比羅宮には主たる祭神の大物主神(おおものぬしのかみ)とともに、相殿(あいどの)に崇徳(すとく)天皇が祀られている。大物主神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟、建速素盞嗚命(たけはやすさのおのみこと)の子、大国主神の和魂神(にぎみたまのかみ)である。

 “こんぴらさん”の呼び名で親しまれている金刀比羅宮は、象頭山(標高521m)の中腹に鎮座し、昔から海の安全、五穀豊穰、大漁祈願、商売繁盛など様々なご利益のある神様として全国津々浦々から、年間300万人もの善男善女が訪れているという。

 登りは、下から本宮まで785段、奥社までとなると1,368段もある。

(参考:ウェルカム四国)

122日、丸亀。八嶋や伊右衛門(先日宿泊した旅籠)にて昼食、100文。この場所から船に乗り、(船中泊)23日に播州赤穂(兵庫県赤穂市)に四ツ時(午前10時頃)到着。

Photo_7 

(赤穂城 赤穂市)

123日、赤穂より一里半。塩田(赤穂の塩)が多い。ここに御城(赤穂城)がある。

Photo_8

(赤穂のにがり塩 マルニ)

赤穂の塩は、濃い海水を煮詰めて塩を取り出す過程で、あえてにがりを含ませる製法。江戸時代から、にがりを含ませた塩づくりを行ってきた。ただし、塩田が廃止された現在では、オーストラリアから原塩を輸入しているそうだ。

■高峠より一里。

■なばより半里。

■追分(兵庫県たつの市神岡町追分)より廿町。

■片嶋(兵庫県たつの市揖保町片島より半里。

■正條(兵庫県たつの市揖保川町正條)より半里。

Grey 

123日、門前(兵庫県たつの市揖保町門前)より半里。旅籠・綿や利介に宿泊。宿泊代200文。

|

« 昭和の中華食堂《生駒軒》@浅草雷門「炒肉片」 | トップページ | 《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その20】 »

江戸時代の旅」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/177442/56311178

この記事へのトラックバック一覧です: 《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その19】:

« 昭和の中華食堂《生駒軒》@浅草雷門「炒肉片」 | トップページ | 《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その20】 »