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《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その23】

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22日大津(滋賀県大津市)→越川(滋賀県愛知郡愛荘町)約44km

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(広重 大津宿)

■(大津)ここに源五郎鮒の名物がある。この間にあよび松がある。

■松本村より一里。ここに木曽義仲の塚(木曽義仲の墓、大津市馬場1-5-12の義仲寺)がある。同所(義仲寺)に芭蕉の塚がある。

 

 義仲寺には、現在つぎの芭蕉の句碑が立つ。

旅に病で夢は枯野をかけ廻(めぐ)る 

 

行春(ゆくはる)をあふみの人とおしみける 

 

古池や蛙(かわず)飛びこむ水の音 

 

三日月の影を延すな蕎麦(そば)の花

 

■ぜぜ町(滋賀県大津市膳所)より十八町。ここに本田(本多)兵部太輔の城(膳所城)があり、石高6万石あまり。この町のはずれに粟津松原がある。それは近江八景の一つである。ここにぜぜ焼き(膳所で焼かれた陶器の茶陶。遠州七窯の一つ)の名物がある。

 

 関ヶ原の戦いに勝った徳川家康は、東海道の押さえとして、膳所城を城造りの名手・藤堂高虎に築かせた。瀬田の唐橋に近い場所で、明治3年に解体されたが、本丸跡は「膳所城跡公園」として整備され、石垣が残り、門が再建されている。

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(広重 粟津青嵐)

 近江八景の一つに「粟津の青嵐(あわづ の せいらん)」がある。

雪はらふ 嵐につれて百船も 千船も浪の粟津に寄する

 

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(石山寺 琵琶湖大津観光協会)

■石山寺(滋賀県大津市石山寺1-1-1、山号: 石光山 、東寺真言宗、本尊は如意輪観音)より十ハ町。近江八景の一つ。観世音あり巳午(南々東)向き。ご朱印540石。お参りする所が多い。

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(広重 石山秋月)

 近江八景の一つ「石山秋月(いしやま の しゅうげつ)」がある。

石山や 鳰(にお:琵琶湖)の海てる月かげは明石も須磨もほかならぬ哉(かな)

 

■勢田(滋賀県大津市)より二里六町。ここに小橋(長さ)30間、大橋96間がある。宿場の離れに近江の一宮(建部大社:たけべたいしゃ、滋賀県大津市神領一丁目16-1)がある。

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(広重 草津宿)

22日、草津(滋賀県草津市)より一里半。藤屋与左衛門にて昼食、72文。ここに東海道と中山道の追分(分岐点)がある。

■森山(滋賀県守山市)より三里半。ここに安川橋があり橋代8文。

■安村(滋賀県野洲市)。それよりハ町離れてむかぜ山が見える。この間に横関川があり、舟渡し8文。

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(広重 武佐宿)

■武佐宿(滋賀県近江八幡市武佐町)より二里半。この間に清水村、びろうど(ビロードを売る店)がある。次にゑち川がある。

22日、越川(滋賀県愛知郡愛荘町)より二里半。旅籠・竹の子や十郎兵衛にて宿泊。宿泊代180文。

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23日越川(滋賀県愛知郡愛荘町)→関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)約37km

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(広重 高宮宿)

■高宮(滋賀県彦根市)より三十町。この宿場の中の右に石の鳥居がある。それより入るべし。

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(多賀大社 滋賀県観光情報)

■多賀社(多賀大社、滋賀県犬上郡多賀町多賀604)より一里半。社は午未(南々西)向き。この間に中川原橋、橋代4文。

■鳥居本(滋賀県彦根市)より一里六町。この間にすり鉢峠がある。

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(広重 番場宿)

■ばん場(番場、滋賀県米原市)より一里。

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(広重 醒井宿)

■さめがへ(醒井:さめがい、同)より一里。

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(広重 柏原宿)

■柏原(滋賀県米原市柏原)より一里。この間に小さな堀がある。近江と美濃の国境があり、これをねものがたりという。

  寝物語の里とは、現在の岐阜県との県境にある史跡で、近江と美濃の国境にまつわる「寝物語」の伝承地。

 昔、国境の小さな溝を隔てて建つ両国の旅籠の泊まり客どうしが、寝ながら話しができたことから付いた呼称だという。広重の「木曽街道六十九宿」今須宿の様子は、この地を描いたものである。

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(広重 今須宿)

■今須(岐阜県不破郡関ヶ原町)より一里。

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(広重 関ヶ原宿)

「木曽街道六拾九次の内 関ヶ原・五拾九/歌川広重画」はおもしろい。

天下分け目の関ヶ原は、古戦場として知られている。東西に中仙道(木曽街道)が走り、南北に北国街道・伊勢街道が通る交通の要所であった。

 昼下がりの宿場の茶店で、馬方が旅人に話しかけている。

 「帰り馬だから安くしとくよ。次の宿場まで乗らないかい」なんて客引きをしているようだ。茶店では草鞋(わらじ)を吊るして売っている。提灯には「名ぶつさとうもち(名物砂糖餅)」。店先の看板には「三五そばきり うんどん」とある。そばとうどんである。

 

 餅は街道の名物なのか、腹もちがよく、甘いものなら疲労回復にもなる。三五そばきり・うんどんは、二八そばと同じように値段を示す。二八そばは、二八で十六(16文)であった。(つなぎの小麦粉が2で、そば粉が8という成分の割合を説明したとする説もある)同様に茶店の看板にあるのは、三五で15文である。店番の老婆も愛想がよい。江戸時代によくありそうな日常を描写している。

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23日、関ヶ原より一里半。旅籠・ゑびすや忠次郎にて宿泊。宿泊代180文。

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