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《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その26】

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211日善光寺(長野県長野市)→坂本(坂城、長野県埴科郡坂城町)約27km

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(善光寺 GoNagano

■(善光寺)宿より数珠、草履(ぞうり)など三品を28文にて購入し、これを持って参詣する。本堂は南向き。戒壇めぐりをするのには6文。三門より左に赤門がある。ここで、けちみやく(血脈)を出してくれる。(血脈は)一つ72文。本堂より左に経堂がある。一町ばかり下って、ねじや?がある。(善光寺は)ご朱印千石、開帳は日の出からである。丹波川の渡し39文。

 当時、参拝者は、紙布などでつくられた白の経帷子(きょうかたびら)、白い鼻緒のわら草履、白木の数珠の三品を求めた。それらをつけて、南無阿弥陀仏と唱えながら戒壇巡りをおこなったそうだ。

「戒壇めぐり」は、本堂の内々陣の右手に入口がある。七段の階段をおり地下を進む。真っ暗である。右手で腰の高さで壁をなでて進む。暗闇の中を45mほど進むと、ご本尊の下あたりで「極楽の錠前」に触れることができる。この鍵に触れることでご本尊と結縁し、極楽浄土行きが約束されるという。

 「血脈」は、本来、在家(ざいけ)の受戒者に仏法相承の証拠として与える系譜のことである。善光寺では、血脈を浄土往生の認定証、あるいはどんな罪を犯していても極楽往生ができるという免罪符のように取り扱っていた。御血脈授与所において、志納をすれば(お金を払えば)誰でも額に「極楽往生を保障する血脈の印」をいただくことが出来たという。(当初は実際に額に判を押していたが、次第に札になったそうだ)

■丹波嶋

■しのゝ井より廿町。柳や甚兵衛にて昼食、89文。ここに竹間川(千曲川)やしろの渡し、22文。

■やしろ(屋代、長野県更埴市)より一里半。この間の小嶋村、帯(を売る店)が多い。

■下戸倉より一里半。

■坂本(坂城、長野県埴科郡坂城町)より三里。旅籠・平林与三右衛門にて宿泊。宿泊代172文。

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212日坂城(長野県埴科郡坂城町)→小諸(長野県小諸市)約30km

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(信濃国分寺 Wikipedia)

■上田(長野県上田市)より二里。ここに松平伊賀守の城(上田城)がある。石高53千石。この間、右に国分寺(信濃国分寺、長野県上田市国分1049)がある。次に竹間川(千曲川)がある。

■海野(うんの、長野県東御市:とうみし)より十八町。

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(布引観音 小諸市)

■田中(長野県東御市田中)より二里半。中屋源兵衛にて昼食、100文。田中宿を出て右に布引山観音(布引観音・釈尊寺、長野県小諸市大久保2250)への道がある。お堂は午未(南々西)向き。岩をくり貫いて堂を建ててある。一里のまわり道となる。小諸へ通り抜ける。

 海野宿と田中宿の両宿は、二つで一つの宿場町で、半月交代で宿場業務をつとめる合宿(あいしゅく)であった。

 布引山観音は、天台宗、山号は布引山。布引観音とも呼ばれる。「牛に引かれて善光寺参り」伝説発祥の地。本尊は聖観世音菩薩である。

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(小諸城址懐古園 小諸市観光協会)

■小諸より三里。旅籠・巴屋六左衛門にて宿泊。宿泊代200文。

213日小諸(長野県小諸市)→松井田(群馬県安中市)約44km

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(浅間山冬 気象庁)

■(小諸)ここに牧野遠江守の城(小諸城)がある。石高15千石。(宿場の)入口に五十間橋があり、出口に廿五間の橋がある。浅間山より流れ出す水にて酒造りがされている。それより長倉原、焼石が多い。右に浅間山が見える。

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(英泉 追分)※浅間山眺望

■追分(長野県北佐久郡軽井沢町)より一里三町。

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(英泉 沓掛)

■沓掛(長野県北佐久郡軽井沢町中軽井沢)より一里五町。この間に中のたけ、駆け抜け道がある。

 沓掛は、碓氷峠の入口にあたり、悪天候時には荷物も人も足止めされる難所であった。草津温泉への分岐点でもあった。

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(広重 軽井沢)

■軽井沢(長野県北佐久郡軽井沢町の軽井沢駅北側、旧軽井沢地区)より二里半。この間に碓氷峠、のぼり十八町。ここに信州と上州の国境がある。次に熊野大権現(熊野皇大神社、長野県北佐久郡軽井沢町大字峠町字碓氷峠1)がある。それより一里下って中茶屋があり、立場である。

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(英泉 坂本)

■坂本(群馬県安中市松井田町)より一里。扇屋与左衛門にて昼食、100文。この間に横川橋がある。ここに横川村、御関所があり、御公儀持ち。この間に妙義山駆け抜け道がある。

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(妙義山 とみおか浪漫紀行)

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(妙義神社 とみおか浪漫紀行)

■妙義山より松井だへ一里。ここに妙義大権現(妙義神社、群馬県富岡市妙義町妙義6)があり、丑寅(東北東)向き。ご朱印は3百石。

■中の嶽へ一里。ここに中の嶽大黒天(中之嶽神社:なかのたけじんじゃ、群馬県甘楽郡下仁田町上小坂1248)がある。それより岩屋をのぼって行く。奥の院三蔵の弥陀様がある。それより妙義へ帰るべし。

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(広重 松井田)

213日、松井田(群馬県安中市松井田町)より二里。旅籠・土屋茂右衛門にて宿泊。宿泊代232文。

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コメント

ちかいちかい(^-^) 知ってる地名が出てくると嬉しいもんです(^-^)

さすがに群馬県は分かりません(笑)

投稿: ikkun | 2012年12月28日 (金) 22時59分

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