« 《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その27】 | トップページ | 《王 羲之(おう ぎし)》を知っていますか? »

《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その28】最終回

217日松山(埼玉県東松山市)→下新井(埼玉県所沢市)約35km

Bl

■(松山)ここに稲荷大明神(箭弓稲荷:やきゅういなり、埼玉県東松山市箭弓町)がある。ここに右は八王子への道、左は川越への道がある。この間に井草の渡し、6文。

1

(川越)

川越より四里。何や何右衛門にて昼食、100文。ここに松平誠丸の御城(川越城)がある。石高17万石。

2

(川越)

■所澤より四町。坂口屋文蔵にて小休止。

■下新井 出発の日から帰りまで64日。

Grey


1_3

(熊野神社1

午(安政五年)217日に帰る。3月節句に(無事に旅を終えた祝いで)お宮・鎮守熊野大権現にてご馳走になり、御祈祷料100文を出す。

同行の旅連中にて(鈴木)宇右衛門宅にて日待ち(仲間の者が集まって、ある決まった日の夕刻より一夜を明かし、翌朝の日の出を拝して解散する行事)をする。その夜は「かげ縛り」をして願をかけた。その後、9月に旅連中にて相談し、熊野宮へ石幟杭(石碑)を立てることにした。9月より月に(全員から)1朱(3,750円)集め、未(安政六年)正月17日に立てた。石幟杭の代金は82朱(487,500円)で必要な金は23朱(41,250円)であった。(1両=6万円として)

2_2

(熊野神社2

 熊野大権現は、当時、下新井村の鎮守であった熊野神社(埼玉県所沢市西新井町17-33)である。現在もこの地に鎮座する。江戸時代にはつぎのように呼ばれていた。

□武州入間郡下新井邑 惣鎮守熊野宮(元禄10年)

□武蔵国入間郡新井郷 熊野社(江戸後期)

□武蔵国入間郡所澤町大字下新井字上川北

 村社熊野神社(明治初期)

3

(熊野神社3

 旧下新井村の鎮守である。毎年大晦日の夜には、蛇に模した藁縄を鳥居に飾る若締め神事が行われる。

Photo

(伊勢大々講)

Photo_2

(伊勢参宮記念樹碑)

 実は現地に行き、境内を捜したが、安政年間の伊勢参宮の碑はなかった。比較的新しい「伊勢大々講」や「伊勢参宮記念樹」の碑は、存在している。江戸時代頃の石塔などは、境内の隅に苔むしたまま置かれていた。

Photo_3

(江戸時代石塔等)

|

« 《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その27】 | トップページ | 《王 羲之(おう ぎし)》を知っていますか? »

江戸時代の旅」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/177442/56462075

この記事へのトラックバック一覧です: 《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その28】最終回:

« 《安政四年伊勢参宮道中記》を読む【その27】 | トップページ | 《王 羲之(おう ぎし)》を知っていますか? »