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《熈代勝覧》江戸時代、日本橋の店舗模様【その10】

◆室町二丁目続き

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紺のれんの木屋が4軒続く。木屋本店(本家)は普請中(建て直し中)である。

木屋本店の初代・林九兵衛は、当初大坂(大阪)で豊臣家の御用商人を務める、薬種商であった。その後、徳川家康に招かれ、当主の弟が江戸へ下り、本町二丁目に店を開いた。大阪の店と分かれたため、姓の林を二つに分けて木屋を名乗った。江戸での創業は、天正元年(1571)。明暦の大火(1657)後に、室町一丁目に移り、将軍家をはじめ諸大名家に出入りして繁盛し、のれんを分けた店々など数店舗が並び「(日本橋)室町に花咲く木屋の紺のれん」とうたわれた。当時は、打刃物木屋、三味線木屋、化粧品木屋、文房具木屋、象牙木屋などがあったそうだ。(参考:日本橋木屋「木屋の歴史」)

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●小間物問屋・打物(打刃物)問屋(木屋伊助) 

 店の中には「火打石品々 水戸石」の看板が読める。この木屋伊助は、寛政四年(1792)に奉公先の本家・木屋九兵衛からのれん分けし独立したと伝わる。実は、現在でも刃物の名店「日本橋木屋」として営業中である。井桁の中に木の商標は、現在も変わっていない。

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(江戸時代の商標)井桁に木

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(日本橋木屋 現代の商標)

 火打石は生活必需品。材料は石英、メノウ、玉髄、黒曜石、チャートなどで、鋼鉄と打ち付け合って火花を飛ばした。江戸時代、江戸で人気があった石は、見た目が白くてきれいな「水戸火打石」(水戸石)であったそうだ。現在の茨城県の「奥久慈」地方(県北部久慈川の上流地帯、福島県・栃木県との県境)が産地のメノウ(瑪瑙)である。

 なお、上方での火打石は、京都・鞍馬山近辺のチャートが人気であった。そのほか、水晶の産地で有名は甲州一円も産地。仙台・伊達家御用達の産地は、宮床近辺だった。

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(小間物問屋 木屋伊助)

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(打物問屋 木屋伊助)

 『江戸買物独案内』(文化七年1824)には、井桁の中に木の商標のほか、本家と同じ丸に木の商標を示す打物問屋としても紹介されている。この2通りの商標の使い分けについては、現日本橋木屋の説明を引用する。

 本家木屋には「暖簾分けは許すが、本家と同じ商品を扱うことは許されない」と言う しきたりがあり、その為打刃物を扱うようになったと言われていますが、文政七年(一八二四)刊行の 「江戸買物独案内」現在の買物ガイドブックには小間物問屋と打物(打刃物)問屋と二つの木屋伊助の広告が載っています。本店の商号は丸に木の印ですから、本店と同じ小間物については遠慮して井桁に木の印を用い、本家の扱わない刃物については本店と同じ丸に木の印を使ったものと思われます。

(日本橋木屋「木屋の歴史」より)

 

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●小道具問屋(木屋久右衛門)

 店先の屋根から下がる看板には、「兜(かぶと)と陣笠」の絵が描かれ、「陣笠 かぶと卸」と読める。店の中には、笠や黒い陣笠、そしてシュロの箒(ほうき)が見える。

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(木屋久右衛門の商標)

『稀代照覧』では山に木、『江戸買物独案内』では丸に久と小丸。

この商標の違いについての理由はわからない。

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(木屋久右衛門 小間物問屋)

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●算盤問屋・草履問屋?(木屋市兵衛)

 店の中の様子がわかる。客と算盤片手に商いをする主人の姿か。店内には陣笠や笠らしき商品も見える。向かって右に算盤型の看板が架かかっている。算盤問屋らしいが・・・。

『江戸買物独案内』(文化七年1824)では、「草履問屋」となっているが、この絵(『稀代照覧』)が文化二年(1805)頃の作とすると、まだ草履の商いをはじめていなかったのかもしれない。

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(木屋市兵衛の商標)

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(木屋市兵衛 草履問屋)

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●塗物・下り蝋燭・小間物問屋(木屋九兵衛幸七)木屋本店※普請中

 絵にあるように建て替え中である。

普請之内 蔵ニ而商売仕候 木屋幸七」“普請の内、蔵にて商売仕(つか)まつり候(そうろう)”の札を掲げている。意味は、「工事中ですが、裏の蔵で商売をしています」である。なかなかの商魂である。ほかの木屋と比べても、裏に蔵を所有する大店であったことがわかる。

 

 『江戸買物独案内』では塗物問屋ならびに下り蝋燭問屋と紹介されている。また(昭和の)戦前まで、木屋林九兵衛商店として、同所で「塗物・漆器専門店」を営んでいたことが知られている。

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(木屋九兵衛幸七 鳶職人)

 絵では、地固め(地形、ヨイトマケ作業)のために、重い槌(柱)を数人で上げ下げする様子である。木屋本店出入りの10名の鳶職。背中を向けている鳶の着物(はっぴ)の背中に、丸に木の字の木屋本店の商標がある。大八車で運んだたくさんの基礎石が見える。さすがに本店の建て替えである。

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(木屋九兵衛の商標)

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(木屋九兵衛 塗物問屋)

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(木屋九兵衛 下り蝋燭問屋)

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