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《熈代勝覧》江戸時代、日本橋の店舗模様【その7】

    室町三丁目

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●桐油合羽問屋(二文字屋)

屋根から下がる看板は「合羽」の形で、「桐油」と書いてある。建て看板も同様に、合羽型で「御桐油」とある。

 桐油(とうゆ)は、アブラギリ(油桐)という木の種子から得られる赤黄色の油である。油は塗料などに用いる。乾燥が速く、耐水性があり、古くから桐油紙・番傘などに使用された。

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●薬種問屋・小間物問屋(萬屋)

 ここ室町三丁目は、薬種問屋街である。漢方薬や和漢薬の原料である生薬を扱っている商店(問屋)が、集まっている。

 木製の看板が二つ。「天元子」は、腹痛の薬と思われる。一方は「真珠散」と読める。成分に真珠貝をはじめ、菊花茶や八ッ目鰻が入っている目の薬である。疲れ目から白内障、緑内障や加齢黄斑変性、網膜のトラブルに効いたようだ。

 店の前で大きな容器をかざしているのは、塗師(ぬし)である。漆(うるし)を塗る職人である。おそらく漆器の修理のため、街頭で店開きして客を待っている商売だろう。

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●薬種問屋(俵屋)

 屋根看板は黒地に白字の「小児丸薬」、2階の木の看板は「たはらや(俵屋)ふり出薬 風(風邪)一切によし 元祖俵屋・・・」とある。

 そのほか、下げ看板(赤)には「血道大妙薬」、大きな木の看板には「わきか(ワキガ)の妙薬」とあるのもおもしろい。

 ここ俵屋の「俵屋振り出し風薬」が、風邪に効くということで大評判であったそうだ。通称「俵屋薬」と呼ばれた看板商品だった。江戸中でこの風邪薬が人気であった証拠に、川柳にもよまれている。

 「たわらやの次にかかるがやぶいなり」

ちょっと風邪かな、と思うとまず薬を飲む。効果がなければ医者(やぶ医者?)へ行く。そんな意味である。

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●仏具問屋(万屋市太郎)

 黒塗り土蔵造りの店である。丸に万の字の商標が、のれんに染められている。店内に腰かけているのは、お客だろうか。

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●薬種問屋・煙草問屋(大黒屋)

 大きな木の下げ看板は、「名薬 御たはこ(たばこ)品々 大黒屋吉右衛門」と読める。同様に左側の下げ看板には「御はらくすり(腹薬)大坂久太郎町堺筋 平野屋五郎兵衛」とある。大坂の平野屋五郎は、有名な両替商だが、豊富な資金力で腹痛の薬を販売していたのだろうか。

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●薬種問屋(福嶋屋)

 丸に一の商標ののれんは、福嶋屋である。大きな建て看板には、「白養散」とあり、鏡を見る中国美人の姿が描かれている。美女は、西施(せいし)である。

 正式には「西施白養散」という。顔の血行を良くし、顔色を白く、肌をきめ細かやかに光沢を出す化粧品である。西施と名付けているのは、中国古代四大美女の一人にあやかっている。(四代美女は、西施のほか、王昭君:おうしょうくん・貂蝉:ちょうせん・楊貴妃:ようきひである)

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●薬種問屋・白粉・陣笠問屋(鎰屋:かぎや)

 店の中では主人が何やら作業中のようだ。薬の調合でもしている様子。

 道に置かれた箱看板は、「おしろい」、「あらい粉(洗顔料)」とある。下げ看板には、陣笠の絵があり「笠おろし(卸)」と読める。黒地に白文字の下げ看板は、「痰(たん)の妙薬」、向かって左端の看板は、「たむし大妙薬」と書いてある。苧麻(ちょま)と記した看板もある。

 苧麻は、11.5mのカラムシという草で、茎の皮から繊維が取れ、衣類や紙、魚網に使用されていた。江戸時代には置賜地方(出羽国米沢・長井など)、最上地方(出羽国)、会津(陸奥国)などが産地。

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●帳面問屋(大坂屋)

 「大福帳」の大きな建て看板が目を引く。看板の下には「とけぬき(とげ抜き)」、「書画扇」の札が下がっている。屋根からは、黒地に白文字で「雪駄おろし(卸)」の下げ看板がかかっている。

 大福帳は、前にも登場したが、商家で使う現金出納帳で、当時の必須アイテムである。大看板自体が、大福帳型というのもわかりやすい。

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●薬種問屋(越後屋)

 丸に越のマークの越後屋は薬種問屋だ。建て看板に「肝涼圓」の文字。看板の上には赤い縁取りの円形木版看板で、「鯉の滝登り」が描かれている。

 肝涼圓(かんりょうえん)は、15歳以下の小児の癪(しゃく)やひきつけ、夜鳴きに効くらしい。鯉の滝のぼりのように、売れ行きも上々だったのであろう。

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●糸物問屋(万屋)

 店の両脇、道に大きく張り出した日除けののれん。「けんきん かけねなし(現金掛け値なし)」とある。売り掛けではなく、現金商売で安く売ります、というアピールである。黒地に白抜きで「萬糸物しなゝゝ(よろず糸物品々)」と書かれている。店の中がのぞけるが、なんだか散らかっている様子。

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●算盤問屋(幸嶋屋さしまや)

 扱う品物はソロバンである。大きな大きなソロバン型の建て看板がユニークだ。

 江戸時代には、もちろんソロバンは武士や商人たちに広く使われた。

 この時代の掛け算や割り算の方法では、一時的に1桁に10以上溜まる場合もあったため、江戸時代までは、「上部五珠2つ」の形式が多く使われた。

 明治時代になり、不要な五珠を1つ減らした「天1珠(上部)・地5珠(下部)」の五つ珠(いつつだま、1桁に5510までの数が置ける)の形が普及した一方、地5珠の形は長く続いた。さらに昭和10年(1935)、小学校教育で珠算が必修となり、最後の不要な一珠が取り除かれて、現在の形である「天1珠・地4珠」の四つ珠(よつだま、1桁に549までの数が置ける)のものになった。

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