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《熈代勝覧》江戸時代、日本橋の店舗模様【その8】

    駿河町通り

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(三井越後屋 江戸本店:『熈代勝覧(きだいしょうらん)』

●三井越後屋:江戸本店/呉服物所・両替店、江戸向店/京糸物問屋・袈裟問屋

延宝元年 (1673)、三井高利は、江戸本町一丁目に間口九尺(約2.7m)の「三井越後屋呉服店」(越後屋)を開業。十年後の天和三年(1683)、駿河町に移転した。間口七間余(約12.7m)、奥行二十間(約36.3m)の大店舗となり、さらに発展して駿河町の大通りをはさんで、江戸本店が三十五間(約63.6m)、江戸向店が二十一間半(約39.1m)と、道行く人を圧倒していた。この繁盛ぶりを一目見ようと、ここは観光名所でもあった。

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(三井越後屋 江戸向店:『熈代勝覧』)

 越後屋の発展の秘訣には、高利が編み出した画期的商法があった。店の看板には「呉服物品々 現銀(現金)無掛値 駿河町 越後屋」とある。この「現金掛け値なし」による正札販売が、第一の要因である。

 それまでの呉服屋は、お得意先の大名、武家、大きな商家などへの訪問販売が主流であった。見本品をもって行き、注文を取る「見世物商い」や商品を実際に見てもらう「屋敷売り」が一般的であった。しかも支払いは、ほとんどが盆と年末の「節季(せっき)払い」のため、支払い時期までの金利や集金のための人件費など、相当な金額が上乗せ(掛け値)され高いものだった。最悪の場合は貸し倒れのリスクもあった。そこで越後屋は、いままでの習慣であるツケをやめ、現金による支払い方式を徹底させた。

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(越後屋の小僧さん:『熈代勝覧』) 

第二の成功要因として、「店先(たなさき)売り」である。店頭での現金定価取引により、資金の回転も速く、掛け値がないため安く販売することができた。また、お得意先へ出向く小僧さんたちは別にしても、訪問販売の要員を減らすこともできたであろう。

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(奥村政信 駿河町越後屋呉服店大浮世絵)

さらに第三として、各種サービスの改善を図った。それまで一反単位でしか売らなかった布地を、客の希望に合わせて「切り売り」(小ロット販売)した。また、店内に専属の職人を待機させ、それまで何日もかかっていた仕立てを、急ぐ客には二刻(約4時間)のスピードで、その日の内に用意させた。

 いまならあたり前だが、雨の日には傘を貸し出し、市中には宣伝用の広告(引札)を配って、古くなったり痛んだ品物を特価で販売することもあった。

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(歌川豊春 浮絵駿河町呉服屋図) 

 店内は、商品ごとに帳場が20以上も並び、それぞれに売場責任者の番頭、手代、丁稚(でっち)、職人を配置し、お客の細かい要望に対応した。これら店員の数は、江戸だけでも約800人もいたという。(寛政三年1791には日本橋の店だけで従業員792人の記録がある)

店員たちのほとんどは、越後屋本店のある京都やその近郊から雇用され、江戸に派遣されていた。10年間は故郷に帰ることは許されず、仕事に励んだと伝えられている。

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(三井越後屋展示模型 江戸東京博物館)

江戸本店(呉服物所・両替店)では、高級な呉服物を扱い、江戸向店(京糸物問屋・袈裟問屋)では、木綿・綿・関東絹物や袈裟を扱っていた。駿河町に移転後、本店には、新たに両替店を開いた。高利は両替店を活用した「為替」でも商才を発揮、江戸と大坂間に為替業務を開設し、幕府の御用為替方を引き受け、江戸・大阪・京都の三都で順調に営業したようだ。

この二つの店の間には、当時富士山が見えたようだ。(広重の版画にある。もちろん現在は、高層の建物が立ち並んでいるので見えない)その様子が川柳によまれている。

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(広重 東都名所 駿河町之図)

富士山は絹と木綿の合(あい)に見え

※参考:『歴史人112011年№14 KKベストセラーズ、『ゼロからわかる江戸の暮らし』学研201210月、『江戸で暮らす。』新人物往来社 20109月、三井広報委員会

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コメント

おかげで三越デパートのルーツが よくわかりました。
ツケをやめて現金商いをした訳ですね。

投稿: 通りすがりの旅人 | 2013年2月21日 (木) 22時48分

この時代に様々なアイデアで発展していった越後屋。
さすがに三越のルーツですね。

投稿: もりたたろべえ | 2013年2月22日 (金) 09時25分

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