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《熈代勝覧》江戸時代、日本橋の店舗模様【その15】最終回

◆日本橋北橋詰

 魚河岸が近く、群衆でごった返している様子。

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 徳川家康の関東入国の後、上方の摂津から漁師が佃島に移り住み、幕府の膳所に供するために漁業を営んだ。その後、毎日上納する鮮魚の残り分を、舟板の上で並べ、日本橋のたもとで売るようになった。これが魚河岸(魚市場)と呼ばれた。日本橋魚河岸の始まりといわれる。

 この日本橋魚河岸は、関東大震災で壊滅して現在の築地に移転されるまで、300年以上にわたって、日本橋北詰の江戸橋との間、本船町から本小田原町にかけての一帯にあった。江戸から東京の台所として、活気にあふれていたわけだ。

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 いまのように冷蔵・冷凍技術のない時代、鮮度の落ちやすい魚をどう扱ったのか。これは素朴にして最大の疑問である。

たとえば、房総沖でとれたサンマは、その場で軽く塩を振って、すぐに高速船に積み込み、日本橋の魚市場へ運んだ。そして早朝を目安に陸揚げされた。

1日波に揺られている間に、塩かげんがほどよくなじみ、天下一品の淡塩(あわしお)サンマになったという。江戸っ子は、これを「ハンジヨ(半塩)」と呼び、焼いて食べていた。「半塩」は、淡塩がほどよくなじんだサンマのことで、脂がのった最高の味加減で食べていたことになる。

 また鮮度を保つために、江戸時代の日本橋周辺では養殖も盛んであり、鯛・平目・海老の生け簀が多くあったそうだ。

 生の魚を遠方から運ぶために、帆走高速船がつくられた。「押送船(おしおくりぶね)」である。漕走併用の小型の高速船で、江戸周辺の伊豆、相模、房総などで漁獲された鮮魚類を江戸へ輸送するために使用された。

 高速航行を行うために、細長い船体と鋭くとがった船首を持つのが特徴。文化十年(1813)の史料では、全長385寸(11.7m)・幅82寸(2.5m)・深さ3尺(0.9m)の船体で、3本の着脱式のマストと7丁の櫓を備えていたそうだ。また、一般の帆走船では艪を使用するのは無風時に限られるのに対し、押送船では、帆のほか常に櫓も使って漕走した。船体の片方に4人ずつ、計8人で力を合わせて櫓を漕いだ。

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(広重 押送船)

 押送船は東京湾などを航行する海船であるが、積荷を魚問屋へ陸揚げするために、江戸市中の河岸までも進入するので、法的には川船役所の監督下に置かれた。他方、積荷の鮮度を保つために、江戸へ入る船舶を監視する浦賀番所で検査を受けずに通航できる特権が与えられていた。

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(日本橋に到着後、魚を荷揚げする押送船、『熈代勝覧』より)

 ところでこの船のスピードだが、約100kmの距離を最短8時間で運んだとされる。平均時速は12.5kmとなり、現在の船の速度単位では8ノット弱ということになる。和船としては速い。当時江戸小田原間は一泊二日の行程であり、房総半島南部にある館山日本橋間なら三泊四日の行程とされていたが、この船は1昼夜である。

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(魚売りの棒手振り 『熈代勝覧』より)

 鮮魚が日本橋の魚河岸に水揚げされ、新鮮な魚を客に届けるために活躍したのは、「棒手振り」と呼ばれる魚の行商人たちだった。朝早く魚河岸に出向き、仲買人から水揚げされたばかりの鮮魚を仕入れる。魚は水を張った平たい桶(盤台:ばんだい、たらい)に入れ、天秤棒で担いで町に駆け出して行く。日頃の得意先回りで、朝仕入れた新鮮な魚をなんとかお昼までに売り切る。鯉、どじょうなどの川魚や蛤、あさり、しじみなどの貝類は、生きたまま運んで売る棒手振りがいた。ちなみに固定店舗の「魚屋」では、鮮魚ではなく干物や塩漬の魚が売られた。これが江戸の魚介類の流通形態である。

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 さて、江戸時代にはどんな魚が獲れたのだろうか。

江戸前の魚介類では、キス・サヨリ・ギンポウ・アジ・コチ・スズキ・ボラ・シラウオ・コハダ(コノシロ)・アナゴ・シャコアカガイ・ミルガイ・アオヤギ・トリガイ・ハマグリなど。相模灘や銚子沖ではタイ・サバ・ブリ・イワシなど。浅草・佃島・深川・品川ではウナギも獲れた。

 そういえば、江戸時代の「初物買い」の話がおもしろい。鰹(かつお)の話題である。

初鰹を食べることが、どんなに嬉しいことであるかがわかる。(略)鰹は「勝魚」に通ずると、武士は大いに賞味したという。門出の祝い肴や贈答品として価値のある魚であった。旧暦四月(現在の五月)ともなると、黒潮にのって伊豆沖でとれたものが小田原や鎌倉などに水揚げされて、馬による陸路または船による海路で江戸に送られてくる。

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(日本橋界隈での鰹売り)

 将軍家への献上分が除かれて、残りを競うようにせり落とし、料理屋や豪商が持っていき、その残りは威勢のよい魚売りがまな板と包丁をかかえて、市中に飛び出して行く。そして庶民も大枚をはたいて粋な心意気を示すためにも鰹を買い、からし、醤油で舌鼓をうったのである。

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(日本橋界隈、鰹を調理してくれる魚売り)

 1812(文化九年)三月二十五日に入荷した17本の初鰹に、1本二両一分から三両という値がついたという話は有名である。うち六本は将軍家へ、八本は魚屋が仕入れ、三本を料理屋として名を馳せた八百善が買った。そして魚屋から一本を役者の中村歌右衛門が三両(現在の10万円ほど)で買ったという。江戸のグルメの一端をみる話である。(引用:『江戸のファーストフード』大久保洋子著、講談社)

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(鰹の刺身 4月勝浦産 いさりびで)

 「鰹」の旬は二回ある。4月から8月の初夏に、黒潮にのって三陸沖まで北上するものを「初鰹」、「のぼり鰹」と呼ぶ。さらに夏から秋にかけて10月から11月頃、南下するものを「戻り鰹」、「くだり鰹」という。後者の鰹の方が、脂がのっていてうまいが、初鰹も脂こそ少ないがねっちりした食感がよい。“目に青葉 山ほととぎす 初鰹”といわれるように、季節を運んで来る魚として、とくに「初鰹」は江戸時代には人気があった。現在、国内での鰹の漁獲量は、気仙沼(宮城)・勝浦(千葉)・石巻(宮城)がベスト3である。

 もうひとつ、おもしろいのが江戸時代の魚介類のランク付けである。江戸時代の料理書の中で、魚介類の格付けをした最も詳細な記載のあるのが「黒白精味集(こくびゃくせいみしゅう)(宝暦14年または明和元年、1746)だ。上中下の魚を3例ずつ記している。どうやら魚の格付けは重視されていたらしい。

                 中        下

アカガイ・シラウオ アイナメ  イワシ

アマダイ・スズキ  アサリ   カド(ニシン)

アユ・タイ      アジ   カニ

アワビ・タラ     アラ   クジラ

アンコウ・フナ   イカ    コノシロ

イセエビ・マス   イシモチ  サバ

カキ         ウナギ   サメ

カレイ        カツオ   シマアジ

キス         サザエ   ドジョウ

クルマエビ      タコ    ハゼ

コイ         タニシ   フグ

サケ         ナマリ   ブリ

サヨリ        ハマグリ  マグロ  

サワラ        ヒラメ   ムツ

シジミ        ボラ  

 よく知られているが、江戸時代には「マグロ」は下位にランクされていた。収穫量が多く、マグロの俗称が「シビ」であり、「死」を連想させるため、忌み嫌われていたようだ。赤貝、白魚、アマダイ、スズキ、鮎、鯛などが上位なのは、若干現代とは違うように思う。

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 さて『熈代勝覧』に描かれた魚売り。初夏の風物詩である鰹が多いが、赤い鯛も見える。ひらめのような平たい魚も売っているようだ。春から初夏の魚が混在して描かれているのも興味深い点である。

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