カテゴリー「旅行・地域」の268件の記事
ご近所散歩 浅草《浅草寺》坂東三十三観音めぐり
浅草でたまに白装束の巡礼姿の集団をみかけることがある。関東を中心に広がる「坂東三十三観音」の札所めぐりである。浅草寺は十三番札所。ご本尊は聖観世音菩薩様だ。白の笈(おい)づるという上着の背中には、弘法大師様と一緒に旅を続ける意味の「同行二人」。心の平安を求めるなら札所めぐりはいかがでしょうか。
札所のお寺では、納経帳を出し朱印をいただく。掛軸もある。笈づるにご朱印をいただく方もいる。それぞれに般若心経を唱える。
浅草寺の御詠歌は
ふかきとが 今よりのちは よもあらじ つみ浅草に まいる身なれば
過去に犯した深い罪も これから先は この世からなくなるだろう
草を摘みに浅草へ おまいりするこの身なのだから
(「とが咎」と「つみ罪」、「つみ」と「(浅草の)草」を掛けている。
ゆるキャラ《台東くん》登場
地元のゆるキャラ《台東くん》が、この7月から登場した。携帯ストラップ・根付タイプで、8種類ある。基本は「台東区」の「台」の字が変化したものだ。
実は“いわれ”がある。
「台東区には、古来よりとても偉い大仏様が空から人々を見守っています。大仏様は困っている人を見つけると、ありがたい筆で半紙に『台東』という文字を書き入れます。
すると驚いたことに、その文字達はムクムクと動き出し、合体して1つの魂となるのです。これが『台東くん』です!大仏様のお使いとして台東くんは人々を一生懸命導き、問題が解決するとポワンと消えてゆきます。町中で起こる不思議な事は、もしかすると台東くんのしわざなのかも知れませんね・・・。」(提供:株式会社バンダイ)
台東区には、いろいろと観光スポットがあるが、《台東くん》8種類の内訳は、上野組が、上野パンダ・不忍池スワンボート・国立科学博物館恐竜の化石の三つ。残りの五つは、浅草寺雷門・花やしき・屋形船・浅草サンバカーニバル・浅草演芸ホールで、浅草組だ。断然、浅草の方が見所が多いというわけ。
浅草や上野を歩くことがあったら、「ガシャポン」で販売しているので、話のタネにお買い求めください。1個200円。
ご近所散歩 浅草《ホーロー看板》伝法院通り
浅草はおもしろい。伝法院通りの骨董屋さんの店先に、レトロな《ホーロー看板》が飾ってある。オークションで1枚2万円から保存状態の良いものなら5万円近くするそうだ。この種の看板は、1950年代から70年代まで全国に普及していた。
「家中みんなで 外傷・皮ふ病・肌あれに オロナイン軟膏」大塚製薬。
昭和40年代(1965年~)のもので、モデルは女優の故・浪花千恵子(なにわちえこ)さん。(1907~1973)家庭の常備薬として「オロナイン」は、いまもある。
「牛肉 野菜入り 大塚のボンカレー ヒートパック」大塚食品。
ボンカレーは、世界初の一般家庭向けレトルト食品として、昭和43年(1968)、阪神地区で発売、翌44年(1969)全国発売されたそうだ。モデルは女優の松山容子さん。
(1937~現在もご健在)いまでも沖縄では「ボンカレー沖縄版」が、限定販売されている。もちろん松山さんのパッケージ。
「元気ハツラツ! オロナミンC ドリンク 炭酸飲料」大塚製薬。
こちらは昭和40年(1965)発売開始。モデルは喜劇役者の大村崑さん。1931年生まれだが、いまも現役である。おいしいとメガネが落ちるそうだ。
ご近所散歩 浅草《パンダバス》で《今戸神社》へ行こう!!
東武の浅草駅から徒歩15分、縁結びに定評のある《今戸神社(いまどじんじゃ)》が密かなブームだ。帰りは無料のシャトルバス《パンダバス》に乗ってみた。
以前もこのブログで紹介したが、《今戸神社》は「招き猫」発祥の地としても知られている。いろんな種類の招き猫が迎えてくれる。ネコの神社へ行くのは、パンダに乗ったら楽だ。これは便利。しかも無料だ。
神社へ行くと、タクシーや人力車で若い女の子が二人、三人と連れ立ってやってくる。おまいりした後、よく当たる「恋みくじ」をひき、おみやげに「縁結御守」を買っていく。美人で親切な宮司さんの奥様が、冷たい麦茶をご馳走してくれる。奥様は、笑顔で女の子に話しかける。
「どちからいらしたの」
「四国の香川県です」
「幸せになってね」
ほんの数分、滞在している間に、香川、埼玉、神奈川の各地からの若い女性のグループが参拝である。境内には、まるい絵馬がたくさん飾られている。仲良し招き猫のものは、「祈願絵馬(きがんえま)」(神様にお願いする)。お願いがかなったら、お雛様ネコの「成就絵馬(じょうじゅえま)」(神様に幸せになった報告をする)を奉納する。ずいぶんたくさんの人が幸せをつかんでいると感心した。
なお、《パンダバス》は、つぎのルートを走っている。
水上バス前(浅草駅近く)→二天門本店前→今戸神社→浅草見番前(観音裏)→花やしき前→田原町駅前(ホテルサンルート浅草前)→雷門前
■今戸神社
■ 東京都台東区今戸1-5―12
■TEL:03(3872)2703
■社務所は年中無休で9:00~17:00まで開いてます
※地図(アドレス参照)
中高年のための 日光《戦場ガ原》ハイキング諸注意
2時間半の戦場ガ原ハイキングといっても、なめてはならない。竜頭の滝や赤沼からスタートすると、最後にアップダウンのきついコースとなる。だから中高年の方々なら必ず、湯滝レストハウスから出発すべきだ。
また湯元から湯の湖、湖畔から歩き出すグループを見かけるが、この湯の湖から湯滝への40分から1時間の道は、無駄である。林の中ばかりで眺めも悪いし、悪路ばかり。疲れるだけである。
ハイヒールにスカートで戦場ガ原の木道を歩いている女性を見かける。とんでもないことだ。いつ足を滑らすかわからない。ヒールの靴やサンダルの女性は、ほぼ90%の確立で足をねんざする。ハイキング・コースといっても決してなめてはならない。戦場ガ原の中に入ると、携帯電話の電波も通じないから、何かあっても助けを呼ぶことはできないのだ。
ペットボトル(500ml)も最低、2本は必要だ。食料もエネルギー補給のため、おにぎりのほかに、バナナやチョコレートなどのお菓子類も持っていくべきだ。何があるかわからない。
中高年のための 日光《戦場ガ原》ハイキングのすすめ
久々に日光《戦場ガ原》を実踏してみた。そういえば若い頃は、小学校や中学校の林間学校の添乗員として、数十回も歩いたコースだ。自分が中高年の域に入り、どんなものかと思ったが、湯滝から赤沼への4.6㎞を2時間半ほどかけて歩いたが、別に無理のないコースだ。
(戦場ガ原コース)
湯滝レストハウス12:00発→(1.5㎞30分)小田代橋→(0.5㎞10分)泉門池〔いずみやどいけ〕12:40~13:10お弁当→青木橋→(2.4㎞50分)→道標〔左・赤沼、右・龍頭滝・小田代〕→(0.2㎞10分)→赤沼14:10着
湯滝を出てしばらく上りやアップダウンがあるが、一気に泉門池まで歩いた方が楽だ。昼食休憩は、30分ほど。できれば「おにぎり」がよい。後半は、ほとんど平坦なコースで、しかもこれぞ戦場ガ原といった景色のよい「自然研究路」なので、途中1、2回の休憩(3~5分程度)をとれば十分。分岐点の道標で、右に行くと石楠花橋〔しゃくなでばし〕があり、そのまま行けば龍頭の滝へ出られる。
参考:道標→(0.5㎞10分)石楠花橋→(1.2㎞25分)龍頭の滝
トイレは、このコースの出発地・湯滝レストハウス駐車場と赤沼にしかない。歩き出す前に必ず、用を足しておこう。参考にあげた龍頭の滝終着コースは、車道を横断するので、あまり趣きがない。赤沼まで歩いて、バスに乗ってもよいし、車道を10分下れば、龍頭の滝も近い。
整備された木道が設置されているが、足元はしっかり準備しよう。登山靴までは不要だが、トレッキング・シューズやスニーカーは必要。滑りやすい道もある。リュックで両手を開けておこう。
今回、事前にお弁当を手配しておいた。東武日光駅の「東武商事アクセス日光売店」で受け取れる。(予約0288-54-1440)「栃木こしひかり米 日光名物 山椒入り おむすび道中」500円。おむすびが3個と唐揚げ、タマゴ焼き、ウインナー、たくあんなど。お米が意外においしかった。(おむすびは梅干・鮭・山椒)
■ おむすび道中(おむすび500)
■ 調整元:株式会社 油源
■ 栃木県日光市上鉢石町1028 TEL:0288(54)1627
ご近所散歩 ちょいと浅草《ほおずき市》に行ってきました
浅草の観音様では『四万六千日(しまんろくせんにち)』と呼ばれるのが、7月9日と10日。この日に参拝すると、その功徳が46,000日(約126年)分も得られるそうだ。つまり1日のおまいりで、大変なご利益(りやく)がある。なんでこの日が、《ほおずき市》なのか、諸説あって定かではない。芝の愛宕神社発祥説や「ほおずき」の薬効説、赤とうもろこしの「赤」に由来する雷除け説などだ。(興味のある方は、金龍山浅草寺のHPでどうぞ)
浅草寺の本堂屋根が、大規模改修中なのが残念。四万六千日の横断幕。
雲行きが少しあやしい。
五重塔がみえる。浅草寺境内。
風鈴がついて、1鉢2,500円。公定価格の「ほおずき」。
粋なお姉さんが売り子なら、思わず買ってしまう?
こちらは親子三代、少し粋なお姉さん?
マスコミ発表では、各社で屋台の数と人出の数が違う。
《ほおずき市》の屋台は180、190、200、250軒。人出は40万人と60万人。(産経新聞、毎日新聞)でも、確かに混み合ってはいるけれど、そんなにお客さんはいない。たぶん空模様がはっきりしないせいだろうか。
ご近所散歩 ちょいと浅草《浅草寺 五重塔》の謎(その後)
慶安元年(1648)、三代将軍・徳川家光によって再建された「五重塔」は、元禄五年(1692)・享保四年(1719)・明治十九年(1886)の修復を経て、明治四十四年(1911)に国宝の指定を受けていた。しかし残念なことに太平洋戦争の戦火により、昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲で、他の本堂・仁王門などの伽藍とともに惜しくも焼失してしまった。(浅草寺史より)
焼失した「旧国宝五重塔」は、それまでの本堂の東南の場所(本堂に向かって右側)ではなく、対称的な西南(本堂に向かって左側)の場所に、昭和四十八年(1973)、11月再建された。鉄筋コンクリート製で高さも以前より高くなった。なぜ、これまでとは反対側に五重塔が再建されたのか、このブログでも取り上げてきた。
最近、地元の方からコメントの送信もあり、さらに浅草周辺で聞き込みをおこなってみた。結論からいえば、やはり昭和20年3月の大空襲で住む家を失った戦災者や浮浪者たちが、広大な敷地であった浅草寺境内に入り込み、バラックを建てて住みついてしまったため、浅草寺側もなかなか強硬手段に出ることができず、結果として、本堂に向かって右側には「不法占拠」のバラックがあり、立ち退かなかったため、再建場所を移動したようだ。仕方がないことだったかもしれない。
昭和史を撮ってきた写真家・石川光陽氏(1904~1989)の作品にも『浅草寺境内のバラック』(昭和23年)がある。文章が添えられ、「焼け出されて家族も行き場もなくした人々が、浅草寺の境内にまであちこちにバラックを建てて暮らしていた」とある。
(写真は昭和館蔵)
浅草の昔を知る古老にきくと、昭和50年頃まで、浅草寺のまわりの公園にも勝手にバラックを建てて生活している人もいたそうだ。中には境内で靴屋や中古衣類を売る古着屋の仮設店舗をつくり、商売をやっていた人もいたそうだ。さらに、旧五重塔の敷地付近は、○○という右翼系の方が住みつき、居住権をタテに居座っていたそうだ。戦後の混乱は、たったいまから30年から35年前まで存在していたということである。
日光・鬼怒川の人気駅弁《ゆばちらし》ヘルシーです
栃木県鬼怒川温泉で会議があった。昼食は《ゆばちらし》である。私も2年ぶりで食べた。テレビや雑誌などでもよく紹介されているが、キャッチフレーズがある。
“とろり絶品! 日光湯波 湯波とすし飯の絶妙なハーモーニー ヘルシー感が女性に人気”
確かにやや濃い目の味付け湯波や各種山菜、海老、銀杏、椎茸などをすし飯の上にのせた、いろどり鮮やかなちらしだ。タマゴ焼もある。煮物もつく。なます(酢)も。
これで850円。器(うつわ)も美しいデザイン。やさしい味は、なかなかのものだ。
■ ゆばちらし
■ 調整元:油源(あぶらげん)
■ 栃木県日光市中鉢石町900-3
■ TEL:0288(54)1627
■ FAX:0288(54)1616
■ 発売箇所/東武日光駅売店 鬼怒川温泉駅売店 下今市駅構内売店
ご近所散歩 ちょいと浅草《浅草寺 旧五重塔跡》
以前、このブログで浅草寺の五重塔を取り上げた。
《浅草寺の五重塔》だが、創建は天慶〔てんぎょう〕五年(942年)といわれている。その後、何度か炎上し、江戸時代の慶安元年(1648)、三代将軍・徳川家光によって再建された。しかし、この「慶安五重塔」は、昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲で惜しくも焼け落ちてしまった。現在の五重塔は、昭和48年(1973)に建てられたものである。これを「昭和五重塔」という。
実は「慶安五重塔」と「昭和五重塔」とでは建っている場所が違う。雷門から仲見世を抜けた宝蔵門(仁王門)と本堂(観音堂)を結ぶ直線を軸とすると、現在の「昭和五重塔」は、本堂に向かって左側、西南の位置にあり、かつての「慶安五重塔」は、向かって右側の東南方向にあったそうだ。この五重塔の位置関係は、まさに軸を中心に対称(シンメトリー)にある。
江戸時代の「慶安五重塔」は、木造で高さが33.18m。広重の「名所江戸百景」に描かれた冬の雪景色の浅草寺にも、しっかりと右側に五重塔がある。「昭和五重塔」は、戦災による焼失から28年後、再建されたが、鉄骨、鉄筋コンクリート造りとなり、高さも48.32mと高くなった。塔の最上層には、スリランカから贈られた仏舎利(聖仏舎利)が納められていることは有名だ。しかし、防災上の問題であろうが、木造にして再建されなかったのは悔やまれる。
さて参道の東南方向、宝蔵門から本堂に向かって右側に、なんと「慶安五重塔」の位置を示す、御影石のプレートがはめ込まれている。15cm四方の小さなものだが、「塔」と刻まれている。なんとなくロマンを感じる。梅原猛先生の著作にも『塔』という作品があったなんて、思い出す。それはさておき、なぜ江戸時代の場所に再建されなかったのであろうか。謎である。どなたかご存知の御仁がいれば、ご教示願いたいものだ。
実は、6月になって「塔」という礎石が撤去され、《旧五重塔跡》の碑が建った。たまたま写真を撮っていたら、地元の史跡研究会の方々が講師の先生の先導で来ていた。
なんと以前の塔と反対側に再建された理由は、「万一火災になった場合、近隣の住居に類焼するのを避けるために、敷地に余裕のある反対側、つまり本堂に向かって左側に建てられた」そうである。これは新鮮な発見だった。
(上:浮世絵、昇旭斎国輝)
《わたらせ渓谷鐵道》素朴なローカル線
わたらせ渓谷沿いを走る《わたらせ渓谷鐵道》に乗ってきた。群馬県桐生駅から栃木県足尾銅山、間藤(まとう)駅まで、全長44.1㎞である。江戸時代から明治・大正まで、日本の近代化に貢献した足尾銅山の銅を運搬するため、明治44年(1911)足尾鉄道が敷かれた。その後大正2年(1913)に国策で国有化され、国鉄・JR足尾線となったが、銅山の閉山(1973)や鉱石輸送廃止(1989)の波を受け、第三セクターの《わたらせ渓谷鐵道》となり、今年20周年を迎えた。
開業以来の赤字だが、行政の支援を受け、なんとか営業を続けている。平日は1両編成のディーゼル車両が走るが、日中でも1時間に1本ほどのダイヤで、単線。しかも東武鉄道との乗り継ぎの便も悪い。しかし行楽シーズンには、トロッコ列車やお座敷列車を走らせ、旅客を誘致する工夫をしている点は立派なものだ。
《わたらせ渓谷鐵道》の神戸(ごうど)駅で降り、路線バスで5~10分ほど乗ると、草木ダムのほとりに《富弘美術館》がある。手足を動かせない重度障害者の画家・星野富弘(ほしのとみひろ)さんが、絵筆を口にくわえて描く詩画は、とてつもなくやさしい。この美術館に行く目的のみで、この鉄道を利用する人も多いはずだ。
かつて銅山の鉱毒で話題になった「わたらせ川」も、いまは清流である。梅雨の合間をぬって、新緑あふれる自然の中を走るローカル線に乗ってほしい。美術館はもちろん、この風景が命の洗濯になることは、間違いない。
ご近所散歩 浅草《西浅草 八幡様》迫力の神輿
三社祭で浅草中が大騒ぎの5月15日から17日。実は西浅草2丁目の氏神様「八幡神社」の祭礼でもある。ここの神輿(みこし)の宮入に行った。三社の神輿の担ぎ手は、ほとんど全国から集まって来るが、西浅草の祭りは地元に密着していた。
圧巻は町内を練り歩いた神輿が、八幡様へ帰る「宮入」だ。神社前で何度も何度も神輿はもまれ、上下に動く。押し戻される。また進む。何回か元気な押し戻しやもまれを繰り返し、ようやく拍子木の三本締めで終了。こんなに目の前で、神輿を見たのも初めての経験だった。浅草に暮す人は、一年に一度祭りに酔う。早朝の宮出しから夕刻の宮入りまで、ほとんど酒を飲んで酔う。打ち上げでも酔う。単純なわかりやすい行事だが、無病息災、家内安全、商売繁盛のため、気合の入り方が違う。
そんな下町の人をうらやましく思う。いつまでも続いてほしいと、つくづく思う。
※(八幡様の神輿 取材先)
■季節料理 甚平
■東京都台東区西浅草2丁目11-8
■TEL:03-3845-0393
ご近所散歩 浅草《東京みやげ》仲見世で見つけた
以前にも紹介した、浅草仲見世で見つけた《東京みやげ》である。
いつのまにか、民主党のボスの座を辞任したオザワイチロウさん関係は消えた。
最近登場したのは、千葉県の森田健作知事。さて、ラインナップは、左から・・・
○ 元気・熱血!健ちゃん落花生まんじゅう(680円)
○ 小浜市(米大統領オバマ氏)を勝手に応援しますまんじゅう Yes, we can.
○ さよなら純ちゃんまんじゅう
○ 太郎ちゃんのねじれ餅
○ 秘密の太郎ちゃん 義理と人情、やせ我慢(上の4種類は630円)
人形焼屋さんでは・・・
○ 両さんの人形焼
○ こち亀 瓦せんべい
○ 両さん草加せんべい
○ ちびまる子○○
などなど、にぎやかである。
ご近所散歩 浅草《浅草神社》の【三社祭提灯】
あっという間に今週末、《三社祭》がやって来る。観音様の境内も浅草神社も、まだ静かだった。
宝蔵前でお客様を待つ、バスガイドさん。もうすぐ集合時間なのだろうか。
三社の祭り提灯。なじみの手打ち麺「馬賊」、天ぷら「中清」、居酒屋「鮒忠」。
七味唐辛子「やげん堀」、ラーメンなら「与ろゐ屋」、天ぷらの「江戸ツ子」、手拭いの「ふじ屋」、どら焼きの「亀十」、そして、喫茶「アンジェラス」など。
「ちんや」、「米久」、「今半」、「梅園」の老舗。海老天丼の「大黒家」に、朱色の「花やしき」など。
ここは、浅草の大御所(おおごしょ)登場。「東武鉄道」、「松屋浅草」、「ROX」に「アサヒビール」。
※平成21年5月12日撮影
ご近所グルメ 浅草《やげん堀》の七味唐辛子
長野・善光寺みやげの「八幡屋礒五郎」の七味は、辛味を出すための唐辛子、辛味と香り両方を併せ持つ山椒・生姜、風味と香りの良い麻の実(麻種)・胡麻・陳皮・紫蘇の七つが成分である。
比べて、江戸「やげん堀」の七味は、香りよい黒胡椒、陳皮(みかんの皮)、厳選された最高級の唐辛子(生と焼の二種)、粉山椒、けしの実、麻の実の七種。
したがって信州と江戸の「七味唐辛子」は、生姜と紫蘇が、江戸物には入っていない。どちらが好きかは好みの問題である。
さて《やげん堀》の七味だが、江戸時代の寛永二年(1625)、初代からし屋徳右衛門が両国薬研堀において漢方薬からヒントを得て産み出したという。それから384年。いまに伝える唐辛子だ。この本店が浅草、新仲見世にある。浅草のみやげとしては、手軽である。
なお、七味唐辛子の保存は、冷蔵庫のポケット部分に入れる。必要に応じて缶に少量入れる。そうすれば風味や辛味が損なわれることはないそうだ。
■ 七味唐辛子本舗 中島商店
■ (本店)東京都台東区1-28-3(新仲見世)このほか、メトロ通りにもある。
※写真の七味容器(雷門バージョン)で、唐辛子入り892円(税込み)
ご近所散歩 浅草《あさくさ夕景夜景》
いつも通り過ぎる街、夕暮から夜の風景。ふっーと、ため息をついたり、ほっとしたり。しかしやさしい街の灯りが、そこにある。アーケードに飾られた提灯が、もうすぐ三社祭(さんじゃまつり)とささやく。
浅草のシンボル、雷門。夜でも人々がつどう。
三社が近くなると飾られる。「浅草東」町会だろうか。伝法院東、メトロ通り、新仲見世商店会の提灯。
新仲見世アーケードの提灯。
グリーン通り、公園通りの提灯。洋食のヨシカミや天ぷらの江戸っ子、喫茶ローヤル。
下町の歴史を伝える「神谷バー」。電気ブランもよいが、建物事自体の存在感もたいしたものだ。
老舗デパートの松屋。ここは歴史の浅草駅。
浅草駅のクラシックなネオンサイン。東武鉄道ではなく、「東武電車」の表現が好きだ。
ご近所散歩 浅草《たぬき通り》12匹のスーパー「おたぬき様」たち
人の役に立ちたいと「仙人修行」を積んだ狸(たぬき)は、12匹。各種のご利益(りやく)があるそうだ。ぜひ、「おたぬき様」軍団に会いに行こう。
① 人情たぬき:対人関係、人間関係の向上に、ご利益。
② 大黒たぬき:肩の袋、手に持つ小槌。金運、商売繁盛、技芸向上などに、ご利益。
③ 開運たぬき:運も実力のうち。浅草一の強運たぬき。末広の扇子を持つ。大願成就。
④ 天神たぬき:浅草たぬきの中でも一番の学識。天神狸に化身。学業向上、合格祈願。
⑤ 小町たぬき:身も心もさらに美しくありたい、という下町女の心意気。和装束。
⑥ 大師たぬき:大師狸に化身。厄除け、交通安全、健康、不老長寿に交通安全。
⑦ 地蔵たぬき:錫杖(しゃくじょう;修験者のつえ)を持ち、お地蔵様に化身。子宝、子育てにご利益。
⑧ 愛情たぬき:良縁、縁結びにご利益。
⑨ 不動たぬき:不動明王に化身。家内安全。
⑩ 招福たぬき:「愛し愛されてこそ幸せな人生。千両大判を手にした福運たぬきが、ままならぬこの世の流れにあきらめている貴方へ、貴方やご家庭に幸せや福寿の願いを招きます」(原文のまま)
⑪ 夫婦たぬき:「浅草一の仲の良いたぬきの若夫婦が、夫婦円満や夫婦ゲンカの仲直りなど、幾久しく仲睦まじく幸せな暮らしを、お二人に約束します」(原文のまま)
ご近所散歩 浅草《たぬき通り》遊び心あふれる商店会
下町・浅草は、日本ならず世界の観光地である。町そのもや商店街の活性化に地元のみなさんが真剣に取り組んでいる姿勢がみえる。《浅草たぬき通り》は、江戸の町並みを再現した「伝法院通り」と並んで、まさに元気な商店街の代表格だ。
ほんのわずかな距離なのだけれど、「たぬき」に特化し、「おたぬき様」が立ち並んでいる。街路灯11基の下の部分に金属でできた狸の像が、安置されている。1基は夫婦者なので、全部で12匹のおたぬき様である。
で、ここには由緒正しい『たぬき物語』がある。(www.tanuki-dori.comから引用)
明治の頃まで浅草一帯は、田圃(たんぼ)に囲まれた薮野原(やぶのはら)でたくさんのたぬきが住んでいました。
戊辰戦争(ぼしんせんそう)が勃発し、戦火を免れた上野の山のたぬき達は四方八方へ逃げのび、中にはたぬき横丁で安堵をとるものもいました。しかし、ここには浅草の地たぬき達がいて縄張りが荒らされる思いから睨(にら)み合いがはじまり合戦という雰囲気になってきました。
そこへ浅草たぬきの長老の辰五郎たぬきが現れ、浅草の地たぬき達に、今までのいたずらを反省し、観音様の御慈悲とご加護で安穏に暮らせていることを悟り、平和を守ることや人の役に立つことの大切さを悟しました。
たぬき達の荒れていた心に暖かい気持ちが生まれ、戦いもいたずらもなくなりました。その中で、使命感を持った十二匹は人の役に立とうと一念発起して、人々の願い事が叶えられる力が持てる仙人修行を積み、それぞれが願かけたぬきとなってまちの人々からも慕われ、お参りされるようになりました。
雷門前の雷門通りを直進、オレンジ通り(浅草公会堂の通り)を右折。右側に満願堂がみえたら、反対側の富士屋(はきもの)の角を入る。そこが《たぬき通り》だ。御利益(ごりやく)満載の「おたぬき様」が待っている。
ご近所散歩 浅草《サトザクラ》は見ごろです
浅草界隈、《サトザクラ》が見ごろを迎えている。サトザクラ(里桜)は、日本に古くから自生する「オオシマザクラ」を主に、ヤマザクラ、オオヤマザクラ、カスミザクラ、エドヒガン(サクラ)などを交雑してつくられた園芸品種なのだそうだ。
サトザクラといっても、300種類以上もあるようで、特徴は花弁が「八重咲き」。葉と花が、ほぼ同時に出てくる。色はやはりピンクが多い。世間一般で「八重桜」と呼ばれる「カンザン(関山)」は、濃い紅色の花をつけ、公園などにも多い。隅田公園でもきれいに咲いている。言問橋近くには、仲間の「イチヨウ(一葉)」もある。
吾妻橋にちかい隅田公園入口付近の《サトザクラ》。ヤマザクラ(山桜)に比べて人里近い場所に咲くので、「里桜」。(平成21年4月16日撮影)
現在、屋根を大改修中の浅草寺の裏も《サトザクラ》がきれいだ。
(平成21年4月16日撮影)
近くの花川戸公園に咲く《サトザクラ》。(平成21年4月15日撮影)
ご近所散歩 浅草《伝法院通り東商店街》の《地口絵》
伝法院通りの《地口行灯(じぐちあんどん)》は、紹介したが、実はこの通りの浅草駅側の「東商店街」にも《地口絵》が五枚ほど飾ってある。浅草駅北口を出て、馬道通りから伝法院通りに入った一画である。地口とは江戸時代に流行した言葉遊びである。
【其の壱】小犬の太刀(たち)のぼり・・・鯉の滝登り①
所在地:和風イタリア居酒屋・太鐘奈(たべるな)前
鯉の滝のぼりは、勢いのよい様子を表現したものだが、転じて「立身出世」の意味にも使われる。それにしても小犬が大きな刀の鋭利な面を命がけでのぼる様は、おそろしい。きっと血だらけになる。
【其の弐】ほうぼうにもふでのあやまり・・・弘法にも筆の誤り②
所在地:コインパーキング浅草第一駐車場前
書の名人・弘法大師でも筆の誤りを犯すこともある。その道の達人でも時として失敗をすることがある。油断は禁物。しかし魚の「ホウボウ」も筆を持ちそうだ。正面から見ると赤いグロテスクな魚で、前ヒレが手足のようだ。方々(四方八方)歩き回るそうだが、刺身にする、白身でなかなかうまい。
【其の参】しそのうまさも七十五日・・・人の噂も七十五日③
所在地:理容室男爵と早田カメラ店前
人のウワサ話もそのうちに(75=30+30+15、約2ヵ月半で)忘れられる。悪い噂が立ってもじっと我慢だ。しそ(紫蘇)の葉は、梅酢で漬ければ保存食。古くから日本にある「和風ハーブ」のようなもので、体に良い。様々な効能があるそうだ。
【其の四】種まき助六・・・揚巻(あげまき)・助六(すけろく)④
所在地:もつ焼き千代乃家前
揚巻(あげまき)・助六(すけろく)は、ご存知、歌舞伎の十八番『助六由縁江戸桜(すけろく・ゆかりの・えどざくら)』の登場人物。男気あふれる粋な助六は、地元の浅草花川戸に住んでいたそうだ。揚巻は、吉原の遊女であった。
【其の五】あん汁より瓜(うり)があい・・・案じるより産むが易(やす)し⑤
所在地:伝法院通り入口の中村屋前
とやかく考えて悩むより、産んだ方が簡単だ、というようなことわざ。しかしこれを言い換えた地口の意味が、よくわからない。
いずれにせよ、この5つの中では、③しそのうまさも七十五日が秀逸だ。
ご近所散歩 浅草《伝法院通りの地口行灯》【その4】
⑲ 狸へかえす観音経〔魂返す、反魂香(はんごんこう)〕
『反魂香』は「死んだ人の魂を現世に返す」といわれるお香のことで、落語八代目三笑亭可楽師匠の有名な演目である。このお香を焚くと、亡くなった愛する人が幽霊で出てくる。
⑳ かおへなげたるこて八丁〔通い慣れたる土手八丁〕
元の通い慣れたる土手八丁。ともかく毎日、通い慣れた道ならよい。みそ汁の赤出し味噌も、最初は週に一回、火曜日だった。「火曜日慣れたら味噌八丁」(たろべえ)
21はけにつづみ〔竹に雀〕
「鷹に雀」(たろべえ)単に言い方が似ているだけの思いつき。
22おかめはちまき〔傍目八目〕
傍目八目とは、囲碁を打っているのを傍(かたわ)ら見ていると、当事者とは違って冷静に八目先までよめる。何事も第三者の方が冷静に先々を判断できるといった意味。これまた、音だけで、下品に「わかめシケモク」(たろべえ)どんな意味かわからない。
23本より上(じょう)うご〔論より証拠〕
つべこべ理屈を並べずに、証拠を出したら「どんより正午」(たろべえ)はっきりしない天気だ。
24富士のまき紙〔富士の巻狩り〕
これは、元々、鎌倉時代に源頼朝が、富士山の山麓(朝霧高原)でおこなった狩りの話(巻狩りだが、武士の軍事訓練の意味もあったという)だが、冬なら事故もなく「無事の寒がり」(たろべえ)
ご近所散歩 浅草《伝法院通りの地口行灯》【その3】
伝法院通りの地口(じぐち)行灯。まだまだある。
⑬ 坊主の手からじゅづがもり〔上手の手から水が漏り〕
なんでも出来る上手の手からも水が漏れてしまうことがある。何事も油断大敵である、という格言から。お坊さんの手から水ではなく、数珠が落ちた。人食い鮫「ジョーズの背から水が漏り」(たろべえ)さて?
⑭ 大かめもちだ〔大金持ちだ〕
これは、世界のホームランバッターの「王、金持ちだ」(たろべえ)しかないと思う。(尊敬する王監督には失礼ですが)
⑮ あとの号外先にたゝず〔後の後悔先にたたず〕
号外はあとから出しても意味がない。同様に企業で不祥事を隠して、後から発覚すると、大問題だ。「後の(情報)公開、役にたたず」(たろべえ)ってわけだ。
⑯ ゆめにうぐいす〔梅に鶯〕
夢にウグイスが出てきた。きっと世間には、はにかみ屋か「うぶなうぐいす」(たろべえ)もいることと思う。
⑰ たらいに見かわすかおとかお〔互いに見交わす顔と顔〕
たらい(水面)に映った自分の顔を思わず見交わす。それなら語呂合わせで「互いに見交わす亀と亀」(たろべえ)とか。ガラパゴス諸島の話。
⑱ 井戸の渕には戸は立られぬ〔人の口には戸は立てられぬ〕
ここだけの話というのは、どこでも無理な話。もちろん、人の口ばかりではなく
「人の靴には歯は立てられぬ」(たろべえ)
おあとがよろしいようで・・・
ご近所散歩 浅草《伝法院通りの地口行灯》【その2】
伝法院通りの地口(じぐち)行灯。どんどんいってみることにする。
⑤ ほおずきのこうべにかにやどる〔正直の頭に神宿る〕やまとみ
正直が何よりである。正直な人にはいつか必ず神様のご加護がある。必ず助けてくれる。それならば「正直の按摩に髪上げる」(たろべえ)。意味がわからない。
⑥ 山から子僧がないて出た〔山から小僧が泣いて来た〕やまとみ
似たような言い回しで「山から土蔵が浮いてきた」(たろべえ)なんてことがあれば恐ろしい。
⑦ ひまの大工に五十両〔縞(しま)の財布に五十両〕おおもり衣装 よのや櫛舗
“縞の財布に五十両”は、おかる・勘平で有名な歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』五・六段の有名なセリフ。仕事もなく暇な大工さんに五十両は、与えすぎだ。
しかし、大漁でアワビや伊勢海老をたくさんとる「海女(あま)の財布に五十両」(たろべえ)。世間では、せっせとカルチャースクール通いの「暇のワイフに授業料」が知られる。
⑧ 板きりむすめ〔舌切り雀〕おおもり衣装 よのや櫛舗
これは、愉快だ。板をのこぎりで切る娘の姿。しかし貧乏で着替える衣服もない娘もいる。「着たきりむすめ」というらしい。
⑨ とんでゆに入る夏のぶし〔飛んで火に入る夏の虫〕絆纏屋
元来、飛んで火に入る夏の虫は、まんまとこちらの思う壺で、ワナに引っかかる(しめしめ)といった意味。この行灯は、ぴょーんと湯船に飛び込む武士である。私は、「飛んで気に入る那須の牛」(たろべえ)。意味不明だが、牛も飛び跳ねるかもしれない。
⑩ わらう顔にはふぐきたる〔笑う門には福来る〕絆纏屋
笑顔を絶やさなければ、幸福は向こうからやって来ます。ここでは、いつも笑顔を忘れずにいると、フグがやって来るらしい。「笑う佐渡にもふぐきたる」(たろべえ)。日本海でフグは獲れるのかわからないが。
⑪ はんぺんもらってたばこにしょ〔三遍回って煙草にしょ〕丸昌 キレット
ハンペンもらってどうしてタバコを吸うのか、それならば、庭に何を置いたらいいかなと「散々迷って巣箱にしょ」(たろべえ)の方がよいと思うのだが・・・。
⑫ おやおやうづばっかり〔おやおや嘘ばかり〕丸昌 キレット
蚊取り線香の渦巻きばっかりだ。それなら、調味料がなくなったためか、
「おやおや味噌ばっかり」(たろべえ)塩や醤油はないのかい。どうでしょう。
(※写真の無断使用はご遠慮ください)
ご近所散歩 浅草《伝法院通りの地口行灯》【その1】
浅草の《伝法院(でんぼういん)通り》は、江戸時代の雰囲気を再現したショッピング人気ストリートである。着物や和風小物、江戸細工、骨董品、古本屋、駄菓子屋、うどん屋、居酒屋と結構、楽しくなる一画だ。日が暮れたら、この商店街を歩きながら上を眺めてほしい。ユニークな《地口行灯(じぐち・あんどん)》がある。
《地口》とは、江戸時代の中頃から流行した「言葉遊び」、「駄洒落(だじゃれ)」のことだ。ことわざや芝居の有名なセリフ、格言などの語呂合せで似た音の言葉で表現したものである。祭礼のときなど、行灯に滑稽な絵を描き、この「地口」を書いた。遊び心の最たるものだが、これを《伝法院通り》では、再現している。全部で行灯が12あり、裏表に絵が描かれているので24面ある。
① はねがはたきの世の中じゃ〔金が敵(かたき)の世の中じゃ〕マルミ用品店
お金はこわい。時には敵(かたき仇)になって身を滅ばす。羽根つきのはねをはたきにしても役にたちそうにない。お金は魔物だが、必要なもの。まっとうに働いて「金がかたぎの世渡りじゃ」(たろべえ)というのはいかが?
② 虎の絵をかく狐とは〔虎の威を借る狐とは(とらのいをかるきつねとは)〕マルミ用品店
元は、弱いキツネが、虎の権威を借りて、威張っている姿。実は、キツネを襲おうとしていた獣たちが、キツネのすぐうしろにいるトラに気づき、逃げて行ったのを見て、キツネが偉そうにしていた様子らしい。そのうちにボロが出る。
「虎の胃を出るきつねそば」(たろべえ)なんてどうかな。
③ ゑびすだいこくう〔恵比寿大黒〕大黒家
恵比寿様は、漁の神様として人々に恵みをもたらす。福を招き、商売繁盛、商いの神。大黒様は、豊作の象徴として、幸運・財宝・健康をもたらす神。
恵比寿様が大根をむさぼり喰っている。それなら、これはプレスリーが大食いでなんでも食べたことから「エルビスたらこ食う」(たろべえ)なんていいかもしれない。
④ 大かぶ小かぶ山から子僧がぬいてきた〔大寒小寒山から小僧が泣いて来た〕大黒家
大きなカブや小さなカブも子僧(小僧)が、抜いてきました。寒い中、夜の暗闇に慣れてきた小象で、「大寒小寒闇から小象が慣れてきた」(たろべえ)とか・・・。(※写真の無断転用はお断りします)
ご近所散歩 ちょいと浅草《花やしき》下町上等遊園地
地下鉄(東京メトロ銀座線)の浅草駅には、《花やしき》のディープな宣伝電飾ポスターがある。キャッチフレーズがにくい。
“Let’s Go !! HANAYASHIKI”と(時代遅れの英語で)呼びかける漫画チックなものである。遊び心満点で大好きだ。この絵の中心で「ゴオォォォ・・・」と劇画風にごう音を立てて動く「ローラーコースター」は、昭和28年(1953)初の国産、日本に現存する最古のジェットコースターだという。いまでも狭い敷地内や隣接するマンションや店舗の軒先をかすめて走っている。本当にゴォーと聞こえる。
そしてこの遊園地のシンボルが、地上45mの「Beeタワー」だ。浅草でも遠くからよく見える。タテに赤い文字で“花 や し き”と書いて自己主張する塔である。(この塔も昭和25年にできたそうだから、60年近い)
《花やしき》はThe Oldest Amusement Park in JAPAN.(日本最古の遊園地)である。しかもSince 1853(1853年開業)だから、江戸時代末期の嘉永六年。なんとアメリカ海軍ペリー提督が黒船で浦賀に来訪して、日本に開国を迫った時代だ。もちろん江戸時代には、「遊園地」ではなく、江戸市民に四季の花々を見せる植物園(庭園)であったそうだ。風流な俳人や茶人たちにも愛されていた。江戸から明治にかけては、活き人形や曲芸などの見世物小屋をかけ、人気を博していたそうだ。その後、明治から大正期には、トラやライオンなどの動物園も開業した。紆余曲折があり、戦後、下町上等遊園地となり、経営母体は変わりながらも、営業を続けるまじめな遊園地である。
ところで今なら、デパートの屋上で見かける「パンダカー」、つまりこどもに人気?のパンダの大きなぬいぐるみカーで、100円を入れるとゆっくり動く乗物だが、浅草の《花やしき》が発祥の地。でもなんで浅草にパンダなのだろうか。(パンダは上野?)〔※イラスト:浅草花やしきさん提供〕
《ムール貝とフレンチ・フライ》添乗員のタマゴたち【その2】
翌日の朝、タマゴのA男、B助、C夫の3人が、朝食レストランの入口にスタンバイしていた。彼らは手づくりの「今宵 パリのディナーをあなたと・・・」などという案内文を参加者に配っている。なるほど、オペラ座界隈の名の知れたシーフード・レストランである。よくもまあ、短時間で見つけ、交渉したものだと感心する。
しかし驚いたのは、夕方決められた時間にレストランに赴(おもむ)いてからだ。
確かに店の2階が「貸し切り」だ。メニューは、なんと各自にバケツ盛りの「ムール貝のワイン蒸し」とボールに山盛りの「フレンチ・フライ(フライド・ポテト)」、そしてパンである。そしてデザートには、やや小さめのティラミスが用意されていた。
フランスの「ムール貝のワイン蒸し」は、一人前で直径15㎝ほどのバケツ的などんぶりに入っている。かなりの量だ、ムール貝をまずバターとオリーブオイル、香草類のニンニクやエシャロットで炒め、白ワインで蒸したものだ。『ムール・マリニエール』と呼ばれるフランスやベルギーの郷土料理といえる。つけ合せは、これまた大量のフレンチ・フライ(つまりフライド・ポテト)である。フランスではフリット(Frite)という。いわばこのポテトのフライが、ごはんやパン代わりだ。
しかし、通常のツアーでは、格式ばったフランス料理は用意しないまでも、「前菜」として、まずスープかサラダ。「メイン」が肉か魚、続いて「デザート」の皿という、3ディッシュが一般的だ。それに「ムール貝のワイン蒸し」は、庶民的なカフェや居酒屋風ビストロで出される料理だ。これを夕食のメインに据えた添乗員のタマゴたちには、脱帽である。ボリュームも申し分ない。ムールの山とポテトの山で、間違いなく満腹。
タマゴ君たちに、どこで調べてこのレストランに決め、ムール貝料理にしたのかを尋ねてみた。すると彼らは、昼間のパリ市内観光研修中にバスで立寄った、オペラ通りの日本人経営の免税店に再訪し、日本人マネジャーに話をつけ、このレストランを手配してもらったそうだ。もちろん下見に行き、安い予算の範囲内で交渉してメニューを決めたそうだ。レストランの支配人によれば、フランス名物「モンサンミッシェル産のムール貝」だそうだ。確かに郷土料理のようなものだ。
いや、待てよ。ムール貝の旬は夏場の7、8月のはずだ。冬場の12月から4月頃が産卵期でムールの身はやせ細り、この旅行を実施した3月には、出荷されないはずなのだ。なるほど、冷凍の「ムール貝」だ。だから安くできたのかもしれない。だが、決してまずくはなかった。質より量の「添乗員のタマゴたち」。
(写真はすべてイメージ:ムール貝ワイン蒸し、フレンチ・フライ、モンサンミッシェル)
《ムール貝とフレンチ・フライ》添乗員のタマゴたち
いまから10年近く前の話だが、添乗員の教育研修で、新入社員30名を連れて、イ ギリスとフランスへ行った。毎日、あらゆる場面で若者たちに添乗員の実務を教えた。それは、大型観光バスにお客様が乗り込むときの、添乗員の立ち位置から始まり、大きな荷物(スーツケース)をバスのトランクヘ積む際の個数確認、車中での添乗員自身のあいさつ・自己紹介、その日の行程の説明など、基本的な動作が多い。
観光地で下車して遺跡や教会・美術館などを見学する場合、添乗員は先頭に立つことが多いが、後方に気を配り、集団から遅れているお客様がいれば、現地ガイドに先頭をとらせ、自分は最後尾につくこともある。
昼食や夕食でレストランを利用する場合、添乗員は真っ先に店内に入り、ささっとメニューの確認をおこない、次々と後に続くお客様をグループ毎に席へ誘導する。早い者勝ちですわってもらうと、必ず飛び飛びのイスが空いてしまい、遅れて来た方が仲間と一緒のテーブルにつけずクレームとなってしまう。食事が始まる前には、本日のメニューの説明(メインは何か、名物料理か、全部で何皿の料理が出るか)をし、個人会計の飲物(ミネラル・ウォーター、ワイン、ビール)の単価まで説明しなければならない。
さて、パリで3人の添乗員のタマゴを呼んだ。課題は、翌日の夕食の手配である。元々フリータイムの1日であったが、『夕食を、全員で食べるレストランを探せ』、といった指示である。なぜ3人にしたかといえば、半分大学生の彼らは、コンパや飲み会の手配には慣れているが、言葉も満足に通じないヨーロッパでは、不安だろうからという親心だ。2人だと意見が分れやすいので、担当を3人にして、つぎのような条件を出した。
○ パリ市内、交通の便のよい場所のレストラン。(地下鉄メトロで行ける)
○ 予算は日本円で、3,000円までの食事代(チップ込み)、飲物代は個人会計だが、コーヒー・紅茶、デザートもつける。
○ 日本食は高いのではずす。メニューの指定はないが、できれば郷土料理的なもの。
○ 一般の客とは離れた席にする。できればこの団体(30名)だけの「個室」。
○ ツアーリーダー(この場合は添乗員の私)の食事代は、業務なのでフリー(無料)にする。
○ 個人会計の飲物代もチップ込みにして、店と交渉し決める。
○ 以上、レストランが決まったら、店名・場所・アクセス(地図)を書いた案内書を作成し、ホテルで人数分コピーし、当日の朝までに参加者全員に知らせる。
***続く******************************************************************
ご近所散歩 ちょいと浅草《木馬館》大衆演劇
下町浅草、浅草寺に続く「奥山おまいりみち」に《木馬館》大衆劇場がある。月替わりで全国から人気の旅回り一座が、やって来て興行を打つ。基本的に昼夜2回公演で、昼の部は12:00~15:30、夜の部は17:00~20:30である。入場料は1,500円と庶民的だ。
《木馬館》3月の出し物は『劇団九州男 三月公演 座長・大川良太郎』だ。時代劇あり、女形あり、歌舞ショーありで“剣と笑いと涙の大衆演劇上劇!!”と、キャッチフレーズがついている。考えてみれば、江戸時代からここ浅草は、当時最大の娯楽の殿堂であって、独楽(こま)回しや居合い抜きなど、数々の曲芸や見世物で賑わいをみせていた場所である。
そういえばハワイに駐在していたとき、日系人のガイドのおばちゃんに誘われて、九州からの旅回り一座の公演を観に行ったことがある。確か「大川○之助一座」と記憶する。ホノルル市内のマッキンレー高校のホールが会場だった。出し物は、時代劇が「一本刀土俵入り」だった。歌謡ショーや歌舞ショーもあり楽しかった。日系人のおばちゃんたちは、ドル紙幣を「おひねり」にして舞台に投げていた。
遠く日本を離れていると、不思議なもので日本の文化が恋しくなる。なんと『都はるみハワイコンサート』にも行った。彼女は、着物姿の舞台でマイクスタンドを振り回しながら、自由に動き回る。このほか、日本からやって来た「伊藤みどり」のアイススケートショーや「大林素子」さんのいた全日本女子チームのアメリカ代表との試合まで観戦に行った。日本にいたときには絶対に行かない。
いま思えば興味深いのは、ハワイにいた頃、必ずテレビの日本語放送で『水戸黄門』や『桃太郎侍』をよく見ていた。ハワイというところは、日本の一昔前の文化が生き続けている場所である。
ご近所散歩 ちょいと浅草・元祖《来々軒》を捜せ!!
先日、このブログでも紹介した、浅草の「東京ラーメン」のルーツといえば、《来々軒》(來來軒)だ。さて、どこにあったのか?昔の住所では、台東区の新畑町、いまの浅草1丁目である。そこで、浅草の文献・資料・書籍の宝庫「浅草文庫」(テプコ浅草館)で調べてみた。(どうやら台東区浅草1丁目13番地あたりらしい)
大正11年の浅草の地図があった。「すしや横町(現すしや通り)」に《来々軒》はあった。明治43年の創業だから当然だが、大正12年の関東大震災で、このあたりは壊滅している。しかしすぐに町並みは再建され、《来々軒》も営業を再開したようだ。
この大正11年の地図では、「支那料理 来々軒」は、すしや横町の浅草公園六区寄りの端にある。(地図に黄色でマーカーをした場所)確かに、10軒近くのお寿司屋さんもある。おそらく明治末期から大正、昭和初期には、浅草は大衆娯楽の聖地であって、日本で最もにぎやかな歓楽街であった。浅草六区へ続く「すしや横町」は、そんな意味では、日本一活気あふれる通りであったようだ。
昔の地図をみると、浅草でも様々なお店がある。呉服屋、下駄屋、小間物屋、洋傘屋、組糸屋、酒屋、鞄(カバン)屋、写真館、洋食屋、ミルクホール(喫茶店)、そば屋、鳥屋、金物屋、煙草(たばこ)屋、薬局、靴屋、帯屋、袋物屋?、だんご屋、理髪店、料理屋などである。もちろんいまでもみかける業種もあるが、なつかしい庶民の街の風物詩的なお店も多い。
おもしろいのは、すしや横町の《来々軒》の向かいが、「志るこ飯田」(おしるこだから甘味処だろう)で、その隣が「あげものや」(天ぷら?)である。古い地図をみながらタイムスリップすれば、当時の町の様子が目に浮かんでくるから不思議だ。ノスタルジックな体験ができる。
※地図は浅草文庫提供。作図はたろべえ。
特攻隊の町《知覧》へ
物力で米英にかなわなかった大日本帝国は、精神力のみで戦っていた第二次世界大戦があった。私の亡き父親も従軍した。それだけに印象深いのが、鹿児島県南九州市知覧町にある「特攻平和会館」の見学である。
戦況が不利になっていた昭和20年、日本軍は若き兵士を戦闘機に乗せ、片道の燃料と爆弾を積み、敵艦に突っ込む作戦をとった。まさに命懸けの戦いであった。多くの者はアメリカ艦隊からの艦砲射撃で撃墜させられたという。はたしてどのくらいの確立で成功?したのだろうか。(もし特攻作戦が3、4ヶ月遅れていれば終戦になっていた)
この特攻平和会館の資料によれば、知覧飛行場から出撃し、特攻で戦死した兵士は、1,036柱だそうだ。意味がないことはわかっていながら、死んでいった若者たちの心意気を思うと切なくてならない。もちろん、こういった戦争で命を落としていった人々の歴史の果てに、現在があり、未来が続くのだから、「戦争」そのものを非難しようとは思わない。しかし知覧の町で17から20歳前後そして27、8の若者の母親や妻に宛てた遺書を見ると、二度と同じあやまちを繰り返してはならないと確信する。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
《かごしま黒豚角煮弁当》食べました
会社の旅行で鹿児島へ行ってきました。見所は数々ありますが、まずは「黒豚」をフュ-チャ-したお弁当の紹介。空港で売っている「空弁」である。久々においしい駅弁、いや空弁を食べた。
《かごしま黒豚角煮弁当》は、文字通り豚の角煮が満載のお弁当だ。高級ブランドである「かごしま黒豚」を使用し、米は鹿児島産。しかも鹿児島の芋焼酎「さつま若潮」でじっくり煮込んであるそうだ。付合せには、干し大根のつぼ漬もつく。何はともかく角煮だが、やわらかくてジューシーで、いままで味わったことのないうまさだ。確かに鹿児島産のごはん(伊佐米)もおいしい。これで1,100円なら安いほどだ。
ちょっと気になったのが、空港しか販売しないはずなのに。「温めて食べると一層おいしいです。」の表示だ。もちろんあたためた方がうまいだろうが、賞味期限の限られた弁当を、みやげにしろというつもりだろうか。もう少し配慮をすべきだ。
■ 株式会社 萬來 ※鹿児島空港で発売
■ 鹿児島県志布志市志布志町安楽4623-5
■ TEL:099-472-3835
| 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)
ご近所散歩 浅草《白浪五人男》をさがせ!!【解説】
東武浅草駅の北口を背にして左手へ。馬道通りの交差点を渡ると、右の角に惣菜の店「中村屋」がある。この店舗の3階ベランダ、エアコンの室外機の隣に⑤南郷力丸(なんごうりきまる)がいる。
伝法院通りを進み、左側の駐車場の隣、もつ焼き「千代乃家」の屋根にいるのは、③忠信利平(ただのぶりへい)。
さらに仲見世に交差する手前、左側がラーメンの名店「与ろゐ屋」。ここの店舗の屋根にすわるのが、④赤星重三郎(あかぼしじゅうさぶろう)。
与ろゐ屋の向かいの呉服屋「仲満」の屋根には、色っぽい②弁天小僧菊之助が、鎮座する。
ところで五人組の親分は、①日本駄衛門(にっぽんだえもん)。事情があって毎日は出勤しないようだが、伝法院通りの道路に出没する。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
ご近所散歩 ちょいと浅草《白浪五人男》をさがせ!!
江戸末期から明治に活躍した歌舞伎作家の河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)は、浅草寺境内の末寺・正智院に約40年間住んだ。当代人気の劇作家で『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』(白浪五人男)は有名である。江戸の町人文化を描いた作品の中でも代表作とされるのが、日本屈指の盗賊軍団「白浪五人男」である。
この五人とは、①盗賊の首領・日本駄衛門(にっぽんだえもん)、②女形の弁天小僧菊之助(べんてんこぞう・きくのすけ)、③神出鬼没の忠信利平(ただのぶりへい)、④最年少の赤星十三郎(あかぼしじゅうざぶろう)、⑤元漁師の船強盗・南郷力丸(なんごうりきまる)である。
歌舞伎では、この五人が勢揃いし、次々と自己紹介する場面の「名セリフ」が有名だ。
① ①日本駄右衛門
問われて名乗るも おこがましいが、産まれは遠州浜松 在、十四の年から親に放れ、身の生業(なりわい)も白浪の、沖を越えたる夜働き、盗みはすれど非道はせず、人に情けを掛川から金谷をかけて宿々で、義賊と噂 高札に、廻る配符の盥(たらい)越し、危ねぇその身の境界も、最早(もはや)四十に人間の、定めは僅か五十年、六十余州に隠れのねぇ、賊徒の首領 日本駄右衛門
②弁天小僧菊之助
さて其の次は江の島の岩本院の児(ちご)上がり、平生(ふだん)着馴れし振袖から、髷(まげ)も島田に由比ケ浜、打ち込む浪にしっぽりと、女に化けた美人局(つつもたせ)、油断のならぬ小娘も小袋坂に身の破れ、悪い浮名も
竜の口(たつのくち)、土の牢へも二度三度、だんだん越える鳥居数、八幡様の氏子にて鎌倉無宿と肩書も、島に育って其名さえ、弁天小僧菊之助
③忠信利平
続いて次に控えしは、月の武蔵の江戸育ち、幼児(がき)の頃から手癖が悪く、抜け参りからぐれ出して、
旅を稼ぎに西国を廻って首尾も吉野山、まぶな仕事も大峰に足を止めたる奈良の京、碁打(ごうち)と云って寺寺や豪家(ごうか)へ入込み盗んだる、金が御嶽の罪科(つみしな)は、蹴抜(けぬき)の塔の二重三重(ふたえみえ)、重なる悪事に高飛びなし、後を隠せし判官の御名前騙(かた)りの忠信利平
又その次に連なるは、以前は武家の中小姓、故主の為に切取も、鈍き刃の腰越も砥上ケ原に身の錆を磨ぎ直しても、抜かねる盗み心の深緑(ふかみどり)、柳の都谷七郷(やなぎのみやこ・やしちごう)、花水橋の切取から今牛若と名も高く、忍ぶ姿も人の目に月影ケ谷神輿ケ嶽(みこしがたけ)、今日ぞ命の明け方に消ゆる間近き星月夜 其名も赤星十三郎
さてどんじりに控えしは、汐風荒き小ゆるぎの、磯馴の松の曲がりなり、人となったる浜育ち、仁義の道も白川の夜船へ乗込む船盗人、波にきらめく稲妻の白刃に脅す人殺し、背負って立たれぬ罪科は、其身に重き虎ヶ石、悪事千里と云うからはどうで終(しま)いは木の空と、覚悟は予(かね)て鴫立沢(しぎたつさわ)、しかし哀れは身に知らぬ、念仏嫌えな南郷力丸
この白浪五人男が浅草の伝法院通りに出現した。町おこしの一環で「伝法院通り東商店会」が主体だ。面白ので浅草にお越しの節は、さがしてみたらいかがですか。
| 固定リンク | コメント (5) | トラックバック (1)
ご近所散歩 ちょいと浅草《浅草仲見世シャッター壁画》
浅草寺の雷門から宝蔵門へ続く商店街を「仲見世」という。一日中、観光客で賑わう場所だが、どこもかしこも夕方6時、7時を過ぎると閉店してしまう。これは観音様が夕方には本堂の扉を閉めるため、急に人通りが少なくなるから仕方のないことなのだが。
ところがここ仲見世は、店が閉まってからでも十分に楽しめる工夫がなされている。それがシャッターに描かれた江戸情緒あふれる『シャッター壁画「浅草絵巻」』である。
平成元年(1989)、地元の声により、夜はさみしいからせめてシャッターに絵を描こうといった発想が始まり。「地元」仲見世商店街、「企業」は文化シャッター、「芸術」は上野の東京芸術大学平山郁夫研究室の“三位一体で創り上げた新しい環境芸術”だそうだ。
描かれているのは、三社祭・金龍の舞・隅田川花火・四万六千日(ほおづき市)・浮世絵・薪能・桜・出初め式・流鏑馬など、江戸文化、下町文化の場面だ。当時の芸大の平山先生の指導を受け、学生たちが浅草絵巻4巻を描いた。それを「グラフィック・メディア」という技術で、塩化ビニールに印刷し、その塩ビフィルムを直接、シャッターに貼ったという。色も鮮やかで耐水性にもすぐれている。2年前には18年ぶりにリニューアルされ、鮮やかな色合いがよみがえっている。
雷門から実に380m、89店舗の店のシャッターが展覧会場なのだ。浅草に夜、行く機会があれば、ぜひ訪ねていただきたい。なずか、ほっとすること請け合いである。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
ご近所散歩 ちょいと浅草《煮込みストリート》
下町・浅草の名物ともいえるのが、《煮込みストリート》。赤提灯の飲み屋が軒を連ねている場所がある。伝法院通りと交差する路地だが、昼間から一杯飲める。ここの名物が「牛すじ煮込み」だ。ビールもよいが、「ホッピー」を頼む常連さんが多い。
たまに行くのが、「鈴芳」や「赤とんぼ」である。さて、ホッピーだが、1948年発売。麦芽とホップを原料とした炭酸飲料である。これを焼酎で割る。ビールのような味わいだが、焼酎のまろやかさに合う。ホッピーは500円。そのまま飲んでもうまいが、「中身(焼酎割り)」をおかわりしながらグイグイやる。
さて「つまみ」の定番「牛すじ」は、実にやわらかい。玉ねぎやにんじんなど、野菜もよく煮えている。大盛りの刻み長ネギがうれしい。(赤とんぼでは450円)軽く飲む場合は、ほかにつまみは不要。お店から文句をいわれることもない。
この煮込みストリートには、15,6軒の煮込みを売る居酒屋(屋台)があるそうだ。結構、どの店も混んでいるが、ストリートを2,3回往復すれば、どこかの店に必ず入れること間違いなし。ほんどの人が、ささっと飲んで、1,000円札を2枚くらい払って席を立つ。この場所は、庶民の強い味方である。
■煮込みストリートは、東京都台東区浅草2-3-16周辺
| 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
ご近所散歩 ちょいと浅草《羽子板市》に行ってきました
今年もいよいよ納めの《羽子板市》に行ってきた。師走の風物詩として、テレビや新聞にも登場するイベントである。今年話題になった「ご時勢羽子板」では、プロゴルファーの石川遼くんや大相撲の白鵬や琴欧州などが人気だった。お笑いのエドはるみさんや世界のナベアツもあった。
羽子板は、女の子が生まれると、その子の無事な成長を祈って、初節句やこどもが初めて迎えるお正月に贈られた。江戸時代中期頃から定着した風習である。羽子板は邪気を跳ね飛ばし、幸運もたらすといわれる。飾り物・縁起物として、家々の玄関先に置かれた。(ちなみに男の子には破魔矢が贈られたそうだ)
羽子板は江戸の伝統工芸として「押絵」という立体的なものだ。板の裏面には、必ず「松竹梅」も描かれる。松は長寿を、竹は節があることから素直な成長を、梅は花や実をたくさんつけることから子孫の繁栄をあらわしたそうだ。
一般的には、元旦から節分(豆撒き)まで飾る。一部には小正月まで、とか雛祭りにも飾る地方もあるようだ。また羽子板に歌舞伎役者の図柄が用いられるようになったのは、文化文政の頃らしい。日本の文化を大事に伝える「羽子板市」は、なかなか奥が深い。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
レトロな川越・大正浪漫通り《シマノコーヒー大正館》
埼玉県川越は、「蔵の町」あるいは「小江戸」と呼ばれる。東京の池袋から東武東上線で30分、手ごろな観光スポットだ。先日、仕事で現地へ出向いた。今回、紹介させていただくのは「大正浪漫通り」である。
川越の蔵造りの街に近い「大正浪漫通り」は、町名でいえば、川越市連雀町から仲町あたりへの、わずか200m程度の商店街である。布団屋、酒屋、うなぎ屋、時計屋、すし屋、肉屋、菓子屋、金細工屋、はんこ屋、和菓子屋、文房具屋、洋品店、食堂など、通常の商店が立ち並ぶ。ところが建物が凝っている。洋風建築あり、町屋造りあり、もちろん蔵造りもある。
この商店街、実は平成7年まで「銀座商店街」という名で長く親しまれていたアーケードだった。ところが、全国にある銀座商店街と同様、大型量販店や郊外型巨大スーパー、格安店の出現により、客足が遠のき、店をたたむところも多くなった。そこで立ち上がったのが、この商店街の二代目・三代目などの若い衆であった。電線を地中に埋めたり、道路を石畳に変えた。各店の建物にも趣向を凝らし、古いものは手を加え昔の趣(おもむき)を取り戻したり、新しく建てる店舗のデザインも大正時代を意識した。これにより、レトロな街並みを再現できることになった。
そんな浪漫通りに平成8年、開店したのが《シマノコーヒー大正館》である。店構えからして、古びた大正の頃のようだ。店内もクラシックだ。まるでセピア色の時代に戻ってしまったような錯覚。ところがコーヒーはうまい。手づくりのケーキ類も人気だ。ブレンド1杯550円、ストレート(スマトラマンデリン)コーヒーは600円と、決して安くはない。しかし水がうまいのか、本当に納得できる味だ。
この大正浪漫通りの発想は、低迷する観光地の「町起こし」の成功例であろうと思う。まだまだ発展途上ではあるが、このわずか100m、200mを歩けば、商店街は身近な品物を販売し、それなりの飲食も楽しめる。映画のセットのようなものかもしれないが、こういった発想こそ「客を呼ぶ」、「客を呼べる」街づくりではないだろうか。(地図は大正浪漫通り商店街HPより、クリックで拡大)
■シマノコーヒー大正館
■埼玉県川越市連雀町13-7
■TEL:049(225)76804
※小江戸川越・大正浪漫通りについて
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
ご近所散歩 ちょいと浅草《浅草海苔》
「浅草みやげ」といえば、いまは「雷おこし」とか「人形焼き」や各種和菓子が有名だが、江戸時代には、楊枝(歯ブラシ)や大仏餅などと肩を並べて、《浅草海苔(のり)》であったそうだ。軽くてかさばらず、保存がきく。
しかし『江戸食の履歴書』平野雅章著(小学館文庫)の「浅草海苔」のページに次のように書いてあった。どうやら、浅草で採れた海苔ではなかったらしい。(P106~)
この海苔(浅草海苔)は徳川三百年の都城であった江戸の名物で、よそにも海苔はできるが、なんと言っても大江戸の産が日本一。浅草の名を冠して、浅草海苔の名で天下に通っている。昔から江戸のみやげといえば、この浅草海苔で。紙のように軽い家苞
(いえづと=土産)に、江戸の香と味とが含まれているのだから嬉しい。
江戸の気に今日はなりけり海苔の味 橘斎
の句が表すように、徳川泰平の江戸に咲いた味覚道楽に、浅草海苔がもつ地位は、どんなに大きかったことだろう。
浅草辺りは、新しい隅田川の沖積層で、昔はあの辺り一面が海であった。それで古くは海苔が浅草一帯で採れたので、その産地名を冠せられたのだという説があるが、この説、にわかに信じがたい。
さらに平野氏は「古くは深川辺りで、海苔は採取されたものと考えられる」と結論している。
また『江戸名所図会』の《浅草海苔》を見ると、産地は「大森・品川等」とある。
大森・品川等の海に産せり。これを浅草海苔と称するは、往古(いにしえ)かしこの海に産せしゆゑに、その旧称を失はずしてかくは呼び来れり。秋の時正(ひがん)に麁朶(そだ)を建て、春の時正に止(とど)まるを定規とす。寒中に採るものを絶品とし、一年の間囲ひ置くとうへどもその色合ひ風味ともに変はることなし。ゆゑに高貴の家にも賞翫せらるるをもって、諸国ともに送り手これを産業とする者は夥しく、実に江戸の名産なり。
なるほど江戸の一大観光地であり、消費地であった「浅草」を名前につけて売ったというわけだ。それにしても、現在でも仲見世に《浅草のり》という看板で、「有明海苔」や各地の「のり」を販売しているお店もあるから不思議だ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)














































































































































































































































最近のコメント