カテゴリー「映画・テレビ」の4件の記事

DVDおろしや国酔夢譚

 念願のDVD《おろしや国酔夢譚》を観た。2時間を越える大作だが、ストーリー展開の速さと迫力ある厳寒のシベリアの風景描写など、息つく暇もない。なかなかおもしろい。Photo_176

 どうしても、ドラマチックな真冬のシベリア草原を旅するシーンやイルークーツクでの生活の模様そしてペテルブルグでの女帝・エカテリーナ2世との謁見の場面を中心に展開していく。制作費45億円、1991年制作、1993年公開の映画である。

 大黒屋光太夫一行は、嵐のためアリューシャン列島のアムチカ島に漂着するが、このあたりのロケは、北海道の奥尻島でおこなわれた。ロケの翌年、1993年(平成5年)7月12日、奥尻は「北海道南西沖地震」が発生し、青苗地区を中心に津波による壊滅的な被害を受けた。また、ロシア(映画製作当時はソビエト連邦の崩壊時)の政変の真っ只中で撮影がおこなわれたそうである。

 原作本を先に読んでいたのでわかるが、映画では、佐藤純弥監督もいっているように、かなり演出を加えている部分もあった。

 気になったのは、ラストの場面。ロシアから船で当時の日本の蝦夷地へ送られ、大黒屋光太夫と磯吉は、故国の土を踏むが、二人は縛られたうえ、樽のような容器に入れられ、罪人のように護送されているシーンが映る。確かに鎖国の禁を破ったには違いないが、原作者の井上靖が小説を書き上げた当時(1968年)には、まだ古文書が発見されておらず、日本へ帰国した光太夫らは、軟禁生活を強いられたことになっていた。

実際には、(以前、ブログでも紹介したが、)磯吉、光太夫共、故郷の伊勢に一時帰国を許されている。彼らが肉親との久振りの再会という、あたたかいエピソードがラストシーンを飾っていれば、さらに感動的な映画になっていたように思う。

 それにしても主演の緒方拳のロシア語は、すばらしい。あれほどたくさんのセリフをよく覚えたものだ。

(略年表)

    1782年(天明2年)大黒屋光太夫、神昌丸にて出港、暴風雨に遭い漂流。

    1791年(寛政3年)エカテリーナ2世に謁見、帰国許可を受ける。

    1793年(寛政5年)光太夫ら日本側に引渡される。

    1798年(寛政10年)磯吉が16年ぶりに江戸から故郷、伊勢へ一時帰国。

    1802年(享和2年)光太夫が20年ぶりに一時的に帰郷。

(DVD/おろしや国酔夢譚、井上靖原作、佐藤純弥監督作品、角川映画2005年)

| | コメント (4) | トラックバック (1)
|

《ララミー牧場》をみたことがありますか?

 テレビ映画の西部劇といえば《ララミー牧場》が好きだった。東京ではNET(いまのテレビ朝日)10チャンネルで1960年(昭和35年)6月23日(木)から放映が始まったようだ。とにかく私は、その頃幼児であったため、詳しく覚えていないが、その後の再放送をみているし、最近、ララミー牧場のことを調べてみた。Jess_harper

 「ララミー牧場」は1860年代のアメリカ西部、ワイオミング州のララミーという町の牧場を舞台にしたテレビドラマだ。父親を殺し、土地をのっとろうとする悪役共から牧場を守ろうとするスリムとアンディーの兄弟。流れ者だが牧場にやって来たガンの名手ジェス。スリムは、父親亡きあと、弟の面倒をみながら牧場を経営し、駅馬車の中継所(停車場)の仕事も始めた。得体の知れないジェスだが、どこかに憂いがある寂しがり屋だが、早撃ちと投げ縄の腕前はすばらしい。ギャングの襲撃にもガンさばきで、すぐに撃退させた。毎回、ピンチの連続にもめげず、牧場と家族を守っていくジェスとスリムの物語なのだ。(アメリカでの原題はLaramieである)Johnsmith

 テレビ放映では、またチンパンジーを起用した「バヤリース・オレンジ」(ジュース)のコマーシャルと毎回西部劇のミニ解説をする淀川長治さんがユニークだった。

 アメリカでは、実に4シリーズが製作された。1959年9月から60年4月が31作、

60年9月から61年6月までが33作でここまでがモノクロ作品。61年9月から62年4月までの28作と同9月から1963年5月までの32作がカラー作品だった。

 主役はスリム・シャーマン(ジョン・スミスJohn Smith1931~1995)と日本でも大人気だったジェス・ハーパー(ロバート・フラーRobert Fuller1934~)の二人。なんといってもジェスがかっこよかった。またシリーズ3作目から登場した「デージーおばさん」(男所帯の家政婦)がよかった。太めだがやさしい笑顔と包容力。ほのぼのとしたドラマになった。

 なお、スリム役のジョン・スミスは。1995年肝硬変と心臓疾患で病死。63歳だった。ジェスことロバート・フラーは、今年73歳だが、2度目の奥様とテキサスの牧場に暮らし健在である。Lalamy2

※写真上:ジェス

中:スリム

下:スリム/デイジー/アンディー/ジェス

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|

工藤夕貴主演《ピクチャーブライド》

工藤夕貴主演の映画PICTURE BRIDEピクチャーブライド』

Picture_bride3 

1994年~95年、ハワイに駐在していた頃、現地でみたアメリカの映画『ピクチャーブライド』が忘れられず、ネットを捜して、ロサンゼルスの業者からビデオを購入した。日本語訳にすれば「写真花嫁」となるだろうか、明治から大正時代、ハワイへ多くの日本人が移民として渡った。

 はじめはサトウキビ畑で過酷な労働を強いられ、住む家は粗末な物置小屋で、それでも歌をうたいながらわずかな賃金で懸命に働いた。年頃の男たちは、結婚斡旋業者にできるだけ若い頃の写真を預け、日本から花嫁を募る。海を渡って来た花嫁は、理想と現実のギャップに苦しむ。苦労を重ねながらも次第に夫婦になっていく。

そんな訳ありの花嫁を工藤夕貴が演じた。よく耳にするハワイの日系人の歴史を描いた作品なのだが、ハワイの風景は本物だった。

 工藤夕貴の出演作品は、その後、『ヒマラヤ杉に降る雪』(1999年)や『SAYURI』(2005年)などもみた。なかなか存在感のある女優に育ったものだ。

しかし決してスターではない。顔立ちがどこか庶民的なのだ。元アイドル歌手なのに、不思議だ。それでもきっと何年かしたら、得意の語学を生かしてハリウッドで「日本人」を演じる大女優になると思っている。

Picture_bride1 

(意訳)

1918年リヨはハワイに到着。すぐに迎えにきた婚約者のマツジに面会するが、大きなショックを受ける。写真でみた男(マツジ)より、老けており、実にリヨより15才も年上だった。「愛のある結婚」を夢みていた彼女は、仕方なくマツジの働くサトウキビ農園へ。様々な人種のるつぼの中で友人と助け合い、なんとか愛をはぐくんでいくリヨ。さて・・・・・・

http://www.picturebridefilm.com/credits.html

Picture_bride2_1 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007年大河ドラマ『風林火山』、主役は山本勘助

 時は戦国の世、天下統一をめざす甲斐の武将・武田晴信(信玄)。「風林火山」の旗のもと、日本歴史上最強といわれる騎馬軍団、武田軍の参謀には、軍師・山本勘助がいた。

 その一生は謎に包まれているが、武田信玄の信濃や伊那の攻略の最前線における城の設計にも意を尽くしたことで知られる。Photo_85

 勘助は、多くの武運を残す中、信玄に滅ぼされた「諏訪頼重(すわよりしげ)」の娘・由布姫(ゆうひめ・諏訪御料人)を信玄の側室に推薦する。信玄の正室・三条の方との確執もあるが、甲府と諏訪を往復しながら、勘助は由布姫に無償の「愛」を感じ、信玄と姫の間に生れた四男・勝頼を武田の跡取にするため画策する。若くして世を去る由布姫。

 やがて越後の長尾景虎(上杉謙信)と川中島で宿命の対決を迎える。第四次川中島合戦、勘助は自ら提案したキツツキ戦法の失敗に責任を感じ、乱戦の中、敵陣に突入し討ち死する。69歳。死ぬ間際、勘助は越し方を走馬灯のように回想する。板垣信方も出てきた。続いて由布姫の顔が現れる。

 「その傷は何ですか。生まれつき見られない顔なのに、またそんな重傷(ふかで)を負って!」非難をこめて言う独特の由布姫の言い方の快さが、勘助の心を痺(しび)れさせた。その時、

 「山本勘助と見受けるが----------名を名乗れ!」

 「いかにも、武田の軍師、山本勘助」

※最後の引用は『風林火山』井上靖による。Vfsh0107「山本勘助」は恵林寺蔵、 写真は山本勘助の墓(川中島、たろべえ撮影)

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|